Q. ―純真な刃―

宝石の断面図のような汰壱の瞳は、公共の電力では到底まかなえない輝きにあふれていた。




「あなたに憧れたから、ボクは今、ここにいます」




昔、といっても1年と少し前。
白薔薇学園から特待生の招待をもらったときも、汰壱はそんな目をしていた。

招待を受けるということは、高校3年間、大好きな叔父の地元であり両親の出会いの地でもある町での暮らしが確約されるということ。


汰壱は確信した。
これが、人生の褒美なのだと。


日本に降り立ち、最初にすることは決まっていた。聖地巡礼だ。かつて侍がいたとされる洋館を、どうしてもひと目見ておきたかった。

憧れを語るうえで欠かせない、伝説発祥の地。
これを通らなければ、侍の甥としての名が廃る。

白薔薇学園入学前の課題提出よりも重大な任務だと、汰壱は本気で認めていた。


もちろん、そこがどんな場所なのか、知らない汰壱ではない。

泣く子も黙る暴走族のホーム。うかつに近づけば、ただでは帰れない。犬でもわかる不可侵領域。

本来、聖地巡礼に向いた場所ではないのだ。


実は、汰壱はこれまでも定期的に家族で叔父の家に遊びに来ており、そのたびに洋館の見学を試みていた。しかし意欲むなしく、テリトリー手前で怖気付き、泣く泣く帰路につくのが常だった。


近年、突如として町に広まった噂、

――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……。

それがさらに汰壱の足を遠ざける。


汰壱は旅に出たこともなければ、崖から突き落とされたこともない。愛し愛された環境で、それはそれは大事に育てられた。

とても恵まれた生活をしている。飛び抜けて高い知性により、小学校入学前の段階でそう自負していた。

さらに、発想に直結した行動力が、いっそう日々を豊かにさせた。白薔薇学園の特待生も、その一環といえよう。


言い換えれば、汰壱はどん底を知らなかった。

挫折で思い当たることといえば、実験の失敗くらいだが、たいていちょっと髪が焦げる程度だし、失敗したというデータが取れた分、成功とも捉えられた。

身を危険に晒すような冒険は、したことがない。
知らないことほど怖いものはない。

未知の世界にダイブするのは、汰壱にとってかなり勇気のいることだった。


しかも、冒険のはじめの一歩が、裏社会の一端を担う暴走族ときた。

神雷というビックネーム、何代にも渡って更新され続ける功罪に、ファンもアンチも日々大量生産され、本拠地は公然の秘密も同然。にもかかわらず、その茨の城は、ただの一度も陥落したことがない。

嫌いだから追い払いに行く人、好きだから追いかけ回す人、すべて等しく天罰が下るとされる。


類まれなる権威を揺るがす代償は、いったい命がいくつあれば足りるのか。

考えるだけでおそろしいが、逆に、考えることしかできないのは信憑性に足る実例が乏しいからだ。実際にどんな奴が行ってどう処されたのか、汰壱の能力をもってしても裏の取れない噂程度のことしかわからなかった。

近づきさえしなければ基本的に害のない組織だ、遠巻きに噂するくらいがちょうどいいのかもしれない。少なくとも、常識あるいは理性があるうちは。


両親や叔父にもひかえめに止められた。

無理に行くことはない。あそこは傷のある奴がたどりつく場所なのだ、と。

でも、と汰壱は制止を振り切る。




(でも! 憧れてしまったこの気持ちはどうすればいいの……!)




あきらめきれなかった。

だって好きなんだ。

好きなものは全部知りたい。好きな人が歩んだ道を追いかけていきたい。


知らない世界を見てみたい!


ぶくぶくと太った知的好奇心が、ぷるぷるとうずくまる恐怖心を飲みこまんとばかりに覆い広がっていくのを感じた。好奇心がパーなら、恐怖心はグー。勝敗のルールは、太古より変わらない。

パーに開いた手に降りてきたのは、白薔薇学園特待生の招待状。神様がくれたラストチャンスだと思った。

ハイリスクハイリターン。

人生を棒に振る覚悟はないが、推しに懸ける想いはそれに劣らない強い意志がある。


今度こそ。

切願を果たすべく、今年の3月、汰壱は空港に着いたその足で洋館に向かったのだった。


繁華街からそう遠くない距離でありながら、廃墟が点在する外れ町。

春先にもかかわらず吹雪の兆しを感じる寒風が、退勤ラッシュに盛んな車がない代わりに、ガラ空きの交差点を疾走する。

この横断歩道を渡った先が、神雷のテリトリー。いつもこの境界線で汰壱は引き返していた。


周りには誰もいない。せいぜい日暮れを詠うカラスが1羽と、進学に張り切って詰め込んだどでかいキャリーケースがあるくらいで。カラフルな頭髪や穴だらけの肌をした人種とは、すれちがってすらいない。

行くなら、今だ。




(あまりオタクをなめないでいただきたい。I can do it. ボクはやるといったらやる男ですよ!)




そう意気込むのも何度目か。すでに青信号を3回も見送っている。

横断歩道の先のただならぬ雰囲気に、両親や叔父に怒られたときの絶望感と似て非なる感覚になり、行くに行けなかった。

怖いけど気になる。
気になるけど怖い。

もう高校生になるというのに情けない。




(OK,next. 次、青になったら、絶対に進む。絶対です)




ここに何しに来たんだ。聖地巡礼だろう!

今回の帰国で一番最初に成し遂げなければ、高校3年間、きっとずるずると先送りにしてしまう気がする。




(ボクの旅は、ここから始まる。侍の伝説のように!)


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