ヴァンパイア夜曲
彼を裏切ることを強く心に決めたその時、彼が、しなやかにベンチを立つ。
思わず腕が伸びた。
無意識に引き止めてしまい、触れた指に、はっ!とする。
「あ…」
わずかに見開かれた綺麗な碧眼と視線が交わった。
ふとした時に気づく、彼の引力。
整った顔とその立ち姿は、やはり今まで出会った誰とも違っていた。一度目があったら逸らせないほどの美しい瞳に、声が出ない。
絡まった指から伝わる彼の体温に、急に我に返って手を離す。
(私、今、どうして)
すると、彼の薄い唇が言葉を紡いだ。
「捕まえなくても、もう逃げたりしねえよ」
「え…?」
「どこかのシスターに押し倒されるのは御免だからな」
別に、彼が逃げようとしたと思って掴んだわけではない。
だが、彼ともっと話していたいという気持ちが芽生えたことを認めるのは癪だった。
シドのからかうような言葉に、かぁっ!と赤くなる。
「ば、バカにしないで!あれは事故でしょう。それに、私は貴方のせいで勘違いされてあの後散々怒られたんだから」
「知るか」
さらりと言い放った彼は、コツコツと歩いて去っていく。
その黒いコートの背中を見ながら、やはりあの男は外見がいいだけで、決して信用してはいけないと、頭の中で警鐘がなったのだった。