わたし、BL声優になりました

「……誰」

 黒瀬の到着を待つ間、辺りを散策していると、後ろから声が聞こえた。

 振り向くと、そこには戸惑いの表情を浮かべた黒瀬が、飲み物を片手に立ち尽くしていた。

 彼の視線は女性の姿をしたゆらぎと、彼女と手を繋いでいる緑川に集中する。

「よく、分かったね。ボクらがここにいるの」

「お前のことだし、その辺をうろちょろしてるんだろうなと思って。で、その女は何? 彼女?」

 不機嫌を滲ませた声音で、黒瀬は問う。

「まさか。黒瀬を差し置いて彼女なんか作るわけないだろ。白石くんが今日来られないって言うから、代わりの子を連れて来ただけ」

 緑川は日々仕事で培《つちか》ってきただろう演技力で、しれっと嘘をつく。

 もちろん、隣にいるゆらぎも黒瀬に嘘をついているのだから同罪だ。

 ゆらぎは黒瀬に正体を気づかれてしまうことを怖れて、顔を上げることが出来ずに、俯いたまま二人の会話に耳を傾ける。

「にしては、ずいぶん無愛想だな。挨拶も出来ないのか」

「黒瀬が想像以上にイケメンだから、驚いてるんじゃないかな」

「ふーん……」

 黒瀬は女性姿のゆらぎに興味がないのか、それ以上の追及はしなかった。

 先頭を歩き始めた黒瀬の後ろで、緑川がゆらぎに小声で耳打ちをする。

「分かってると思うけど、声変えてね。声優なんだからそれくらい出来るでしょ?」

 小さく頷くも、ゆらぎの内心は後悔で溢れていた。出来るかと問われれば、やるしかない。

 こうなってしまっては、もう後には引き返せない。黒瀬には悪いと思いつつも、今日という一日を徹底的に騙し通すことを決意した。
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