氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
職業病というか、氷雨はあまり熟睡したことがない。

幽玄町の屋敷にまで敵に乗り込まれたことなどほとんどないのだが、それでもいつでもすぐ動けるように浅い睡眠を何度か摂って熟睡しないようにしている。

それが習慣になっているためいつものようにすこし眠っていると――廊下を小走りに歩く音がして、足音でそれが朧だと分かった。

なので完全に油断していた氷雨は――部屋に飛び込んできた朧がその勢いのままに腹の上にどすっと座られて呻いた。


「うっ、痛い!痛いです朧さん!」


「氷雨さん!朔兄様が来ました!」


一気に覚醒した氷雨が朧を腹に乗せたままがばっと起き上がると、目を真ん丸にして朧を見つめた。


「もう!?早くね!?」


「多分文を見てすぐ幽玄町を出たんだと思います。ふふ、朔兄様ったら」


出遅れるわけにはいかないと手を繋いで足早に廊下を歩き、朔の居る大広間に行くと――そこには如月と泉と晴明に出迎えられて談笑している朔の後ろ姿が在った。


「主さま」


「随分のんびりとした出迎えだな。思う存分羽を伸ばしているというわけか」


肩越しに振り返った朔がにやりと笑うと、氷雨は慌てて言い訳をしながら朔の隣に陣取った。


「いやいやいや、主さまのことが気になって熟睡できねえよ。ちゃんと飯食ってんのか?寝てんのか?百鬼夜行はちゃんと…」


「ちゃんとやっている。お前は俺の妻か」


ふんと鼻で笑われたものの、氷雨はいたく真面目な顔で朔の頭をぐりぐり撫でた。


「いや、主さまは目を離すとすぐ怠けるから気が気じゃねえよ。でもまあほら、こっちに来たんだから目が届くし、やっぱこれが定位置だな」


いつもは頭を撫でると手を振り払われるのだが――そうはされず、少し唇を尖らせつつもされるがままになっていた。


「貴様…朔兄様に馴れ馴れしいぞ!」


「お前もやったらいいじゃん」


「できるか!殺すぞ!」


「如月、屋敷を案内してくれ。ゆっくり話そう」


「!はい…」


しおらしくなった如月に皆が笑んだ。
< 89 / 281 >

この作品をシェア

pagetop