【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「遠いところ、よくぞ参った」
広い謁見の間に、そんな翠の声が響き渡った。
上座に座している翠の目の前には、4人の男達が頭を低くして跪いている。
「お時間を頂きありがとうございます。前持ったご連絡もせず参りました無礼をどうぞお許しください」
その中でも一番上等な衣を身に纏った男が、はっきりとした口調でそう言った。
その様子を、カヤとタケルは翠の後方に正座をしながら見つめた。
広間の右手側には、ミナトを含めた屋敷の兵5人ほどが、翠に危害が及ばないように突然の来客を監視している。
隣国の使者と翠と、それからカヤを除いた全員が当惑したような表情をしていた。
(そりゃそうか)
ろくに書簡も送らずに、いきなり敵国にやってくるなんて、どう考えても不自然極まりない。
一体なんの用だと、誰もが感じているだろう。
そんな空気の中、同席を命令されたカヤの体調は最悪そのものだった。
恐らく口を開けば、先ほど食べた朝げが全部出てきてしまいそうな程に。
気持ち悪い。そして頭が痛い。ふらふらする。
ひれ伏している男に対して、翠は親しみやすい様子で言った。
「いや、構わぬよ。……して、聞くところによると、どうやら『弥依彦』殿の使いらしいが?」
翠の口から出て来た隣国の王の名に、思わず膝の上で握る拳がぴくりと反応した。
「これはこれは、申し遅れました。私、ハヤセミと申します。仰る通り、我が国の王である弥依彦様の命により参りました」
『ハヤセミ』と名乗ったその男は、にこやかに翠に笑みを向ける。
切れ長の眼が、胡散臭く弧を描いた。
条件反射のように、吐き気が倍増した。
「ハヤセミ、だな。今更名乗る事も不要かもしれぬが、私はこの国の神官を務める翠と言う」
同じくらい朗らかな翠の声に、ハヤセミは深く頷いた。
「勿論存じ上げております。貴女様の占いのお力は我が国でも皆が知るところで御座います」
「それは光栄だな」と微笑交じりに翠が言った。
至って和やかな雰囲気だ。
そんな空気の方向をしなやかに曲げたのは、翠の方だった。
「では、さっそく用件を伺おうか?」
その声色が真剣みを帯びる。
「はい。単刀直入に申し上げます」
翠に呼応するよう、ハヤセミの声が更に明瞭なものになった。
そして、今まで頑なに翠から逸らされなかった瞳が、すいっと流れた。
一度だけ瞬きをしただけだった。
そのたった一瞬のうちに、にこやかに緩んでいた視線が冷たさを纏う。
「そこの金の髪を持つ娘を、"お返し"して頂きたく存じます」
まるで獲物を見つけた蛇のように、カヤを捕らえた。
―――嗚呼、ほら、この眼。
心臓を直接凍らせるような、狂喜めいた、それ。
この眼が、本当に嫌いだった。
「……ほう、カヤをねえ」
興味深そうに翠が腕を組んだ。
その表情は幸か不幸か、こちら側から見えない。
それなのにカヤは、翠の背中さえ直視出来なくて、深く俯いた。
翠はしばし考えるそぶりを見せると、見事な程に動揺を見せぬまま口を開いた。
「一つ聞きたいのだが、その娘は今、私の元で世話役をしている。つまり我が国の民ということになるだが……『返してほしい』と言うのは些か語弊があるのでは?」
「この国の民、でございますか」
無意味に確認するかのように、ハヤセミが繰り返す。