【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
ハヤセミが語り終え、広間には静けさが戻る。
ふう、と翠が息を吐いたのが聞こえた。
「クンリク様ねえ……そんな大層な名前を持っていたとは知らなかったな」
馬鹿にしているわけでもなく、率直な感想とでも言うような様子。
「ええ、大層なお方なのです。クンリク様は我が国に無くてはならない存在でございます」
聴く人が聴けば、熱が籠った言葉に感じたのかもしれない。
しかし生憎、カヤにとってはただ並べられた科白を音読しているようにか聞こえなかった。
翠は「話は分かった」と頷いた後、しばり考えるそぶりを見せた。
微動だにしないその背中を、カヤは上目遣い気味に見やる。
その背中からは何の感情も感じ取れない。
一体どんな言葉を吐くのか予想もつかなくて、それが何よりも恐ろしかった。
あっさり返されるかもしれない。
いや、でも翠なら留めてくれるかもしれない。
とんでもない我儘なのは重々承知しているが、叶うのならそうあって欲しい。
帰りたくない。この場所に居たい。
(ただ生きていれば良いだけのこの場所に居て良いのなら、ここで朽ちたい)
口を開けばその背中に向かって叫び出してしまいそうだった。
ぶちまけたい感情が、今か今かと喉で蠢いている。
どうすれば。
どうすれば、この場で翠にそれを伝えられるだろう?
そんな事を必死に考えていた頭の隅に、やけに唐突に空虚な空間が現れた。
――――お前なんて、返されて当然だろう。
冷静な自分がそう囁く。
鬱蒼と考えていた全ての想いが笑えるくらいにあっさり消えうせ、そこには諦めだけが残った。
(一体、何を願ってるんだか)
本当に馬鹿なのは、かつて神を貶めた人間達ではない。
現実から逃避し続けた自分だ。
無意識に嘲笑を浮かべ、カヤは頑なに下げていた顔をスッと上げた。
翠の向こう側に居たハヤセミが、カヤに気が付いたように視線を移してきた。
意地でもその眼を逸らす事なく、真っすぐに見つめる。
(よし、言おう)
そう決心してカヤが短く息を吸いこんだ時だった。
「しかし困ったな」
まるでカヤが話しだそうとするのを阻止するかのような折り合いで、翠が言葉を吐いた。
出鼻をくじかれたカヤは、開きかけた口を思わず閉じる。
同時に、ハヤセミの視線がまたもや翠に戻った。
「……と、言いますと?」
ハヤセミが訝し気に問いかける。
翠は、つらつらと言葉を並べた。
「この娘はな、偶然にも私のお告げの結果ここに居るのだよ。……私のお告げはそなた達で言う"神"の言葉と同意でね。私は神官としてそのお告げに背くことは出来ないのだよ」
直接的な表現では無い。
しかし、間違いなく隣国の主張を拒否した。
まさかの発言に、カヤも、そしてハヤセミも眼を見張る。
その場の雰囲気が一気に緊張感を増した。
「しかし、翠様……」
ハヤセミが何かを意見しようと口を開きかけた。
「それにな」
それを真向から遮るように翠の言葉が重なる。
「神の娘と呼ばれるこの者が、この国の、そしてこの私の元に居ると言うことは、それこそ神自身の思し召しではなかろうか?」
口調は柔らかなのに、何にも侵略されがたい凛とした声。
「私だったら、それをまるっきり無視するなんぞ恐ろしくて出来ぬがな」
嗚呼、きっと翠は目の前にカヤが居たら、間違いなく笑いかけてくれた。
(……私を、置いてくれる気で居るんだ)
言いようのない安堵感に、カヤは眉を下げた。
ふう、と翠が息を吐いたのが聞こえた。
「クンリク様ねえ……そんな大層な名前を持っていたとは知らなかったな」
馬鹿にしているわけでもなく、率直な感想とでも言うような様子。
「ええ、大層なお方なのです。クンリク様は我が国に無くてはならない存在でございます」
聴く人が聴けば、熱が籠った言葉に感じたのかもしれない。
しかし生憎、カヤにとってはただ並べられた科白を音読しているようにか聞こえなかった。
翠は「話は分かった」と頷いた後、しばり考えるそぶりを見せた。
微動だにしないその背中を、カヤは上目遣い気味に見やる。
その背中からは何の感情も感じ取れない。
一体どんな言葉を吐くのか予想もつかなくて、それが何よりも恐ろしかった。
あっさり返されるかもしれない。
いや、でも翠なら留めてくれるかもしれない。
とんでもない我儘なのは重々承知しているが、叶うのならそうあって欲しい。
帰りたくない。この場所に居たい。
(ただ生きていれば良いだけのこの場所に居て良いのなら、ここで朽ちたい)
口を開けばその背中に向かって叫び出してしまいそうだった。
ぶちまけたい感情が、今か今かと喉で蠢いている。
どうすれば。
どうすれば、この場で翠にそれを伝えられるだろう?
そんな事を必死に考えていた頭の隅に、やけに唐突に空虚な空間が現れた。
――――お前なんて、返されて当然だろう。
冷静な自分がそう囁く。
鬱蒼と考えていた全ての想いが笑えるくらいにあっさり消えうせ、そこには諦めだけが残った。
(一体、何を願ってるんだか)
本当に馬鹿なのは、かつて神を貶めた人間達ではない。
現実から逃避し続けた自分だ。
無意識に嘲笑を浮かべ、カヤは頑なに下げていた顔をスッと上げた。
翠の向こう側に居たハヤセミが、カヤに気が付いたように視線を移してきた。
意地でもその眼を逸らす事なく、真っすぐに見つめる。
(よし、言おう)
そう決心してカヤが短く息を吸いこんだ時だった。
「しかし困ったな」
まるでカヤが話しだそうとするのを阻止するかのような折り合いで、翠が言葉を吐いた。
出鼻をくじかれたカヤは、開きかけた口を思わず閉じる。
同時に、ハヤセミの視線がまたもや翠に戻った。
「……と、言いますと?」
ハヤセミが訝し気に問いかける。
翠は、つらつらと言葉を並べた。
「この娘はな、偶然にも私のお告げの結果ここに居るのだよ。……私のお告げはそなた達で言う"神"の言葉と同意でね。私は神官としてそのお告げに背くことは出来ないのだよ」
直接的な表現では無い。
しかし、間違いなく隣国の主張を拒否した。
まさかの発言に、カヤも、そしてハヤセミも眼を見張る。
その場の雰囲気が一気に緊張感を増した。
「しかし、翠様……」
ハヤセミが何かを意見しようと口を開きかけた。
「それにな」
それを真向から遮るように翠の言葉が重なる。
「神の娘と呼ばれるこの者が、この国の、そしてこの私の元に居ると言うことは、それこそ神自身の思し召しではなかろうか?」
口調は柔らかなのに、何にも侵略されがたい凛とした声。
「私だったら、それをまるっきり無視するなんぞ恐ろしくて出来ぬがな」
嗚呼、きっと翠は目の前にカヤが居たら、間違いなく笑いかけてくれた。
(……私を、置いてくれる気で居るんだ)
言いようのない安堵感に、カヤは眉を下げた。