【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「カヤから私に近づいてきたのはなく、たまたまの偶然と、そしてお告げが重なったからこの場に居るのだ。そんなあやふやな偶然に期待して、神の娘と崇めるカヤをわざわざ送り込んでくると思うか?」

その間違いのない理屈に、タケルは俯いて黙り込む。
力の抜けたその肩に、翠がポンと触れた。

「それに、そんな器用に人を騙せる娘では無い……お前と同じでな」

付け加えた言葉が効いたのか、タケルは目を見開いた。
それから目を伏せて「申し訳ありませんでした」と小さく言葉を落とした。

「し、しかし……一体どうするのです?嫁入りなんぞ無理でしょう?色々と……」

おずおずと尋ねたタケルに、翠は至って普通な顔をして頷く。

「そうだな。色々と無理だな」

その『色々』の意味を、きっとこの場の全員が分かっていた。

勿論誰も口には出さないが。


翠の占いで成り立っているこの国から神官様が居なくなるなど、お先真っ暗どころでは無い。

何より婿入りならともかく、翠が嫁入りなんて、物理的に不可能だ。

夫婦になってしまえば、どう頑張っても翠が女では無いと露見しないはずが無い。

甘いはずの新婚初夜が、血祭りになる可能性だって大いにある。

そこまで考えたカヤの口からは、驚くほどするりと最善の答が飛び出た。

「私、帰ります」

至って短い宣言だった。


タケルは『当然だ』と言うような視線をこちらに送ってくる。

翠はと言うと、相変わらず不思議な程に冷静な顔だ。

「まあ待て、カヤ。ひとまず確認なのだが、ハヤセミ達の言っていた事は真実なのだな?」

その問いかけに、しっかりと頷く。

「はい。私がただの人間だという事以外はですけど」

「では本当に、神の娘として崇められていたのか?」

「そうですね……割りと良い暮らしはさせて貰ってました」

嘘では無かった。

黙って祈りの言葉を紡いでいれば、綺麗で清潔な衣を与えられた。

髪を大事に大事に伸ばして輝きを保たせ続ければ、豪華な食事を与えられた。

あの場所から逃げ出す直前に無かったものと言えば、太陽の下を駆け回る自由くらいだ。



「ではお主、なぜこの国に来たのだ?」

だから、タケルの疑問は至極当然のものだと思った。

「……逃げてきたからです」

「逃げただあ?」

繰り返すようにそう言われ、カヤはうんざりとした表情をなるべく出さないように努めた。

「そうです。逃げて、そして国境の山で人さらいにあってこの国へ連れてこられました」

そうなのだ。
あの人さらいに合っていなければ今頃、大陸を目指して旅をしていたはずだった。


「なぜそのような良い扱いを受けていたのに、お主は逃げたのだ?」

その言葉にピクリと自分の目元が引き攣ったのが分かった。


(どうして私が死ぬ思いで、あの場所を逃げ出したかなんて)

理由を口にすれば、きっと砂を積み上げただけの脆い砦は、崩れ去るだろう。

それでもぶちまけてしまいたい。
けれど、知られたくもない。

どちらにせよ手前勝手な思いが葛藤の渦を泳ぐ。
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