【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
ギシッ、ギシッ、と人間が床を歩いてくる音だ。
一人分では無い。複数人の足音だ。

同時に、何やらぼそぼととした話し声も耳に届いてきた。


「―――――……そろそろ翠様が感付かれるかもしれぬ……今、何人残っている……?」

「六名です……あの男に半分以上……やられました……」

聞き覚えのある声だった。
カヤの腹に蹴りを食らわせてきた男と、そしてもう一人は、きっと。

「……そうか……念のため入口を警戒していろ……何かあったらすぐに言いに来い……私はあの娘を……」

「承知しました……膳様お一人で大丈夫ですか……?」

「問題ない……全てが終わったら、皆共に国を出よう……すまなかったな」

「……最後まで、お供致します」

「頼んだ」

足音が一つ、離れて行く音がした。
そしてもう一つの足音は、カヤの部屋に近づいてくる。

「――――なんだ、目を覚ましたのか」

入口から姿を見せたのは、やはりカヤが思った通りの人物であった。

「……膳っ……」

久しぶりに見た姿だった。
だが、ただ道端で会っていたら、その男が膳だとカヤは気が付かなかったかもしれない。

それほど膳の姿は変わり果てていた。

かつては幸福の象徴のように丸みを帯びていた頬は痩せ、目の周りは落ち窪んでいる。
綺麗に結われていた髪も乱雑に散らかっていた。

身に纏っている衣は見事な刺繍がされているものの、汚く煤け、所々が綻んでいる。

豪族としての地位を失った膳は、没落の一途を辿ったようだった。


怒りで身震いをしながら、カヤはゆっくりと体勢を起こし、後ずさった。
壁を背中に預け、膳を睨みつける。

「……お前、なんでっ……こんなっ……こんな事を……!この、人でなし……!」

頭に血が上りすぎて、言葉が上手く出てこない。


(死ぬほど憎い)

目の前の男が途方も無く憎かった。

散々痛めつけてやりたい。
気を失うほど苦しめて、その末に殺してやりたい。

喉元に食らいついて、噛み切って、ぐちゃぐちゃにして、欠片一つすらこの世に残さずに消してしまいたい。


(ミナト、ミナト、ミナト)

嗚呼、なんて世知辛い。
この男を葬った所で、あの人は還ってこないと言う事実が、カヤの心だけ殺していく。


「ど、してミナトをっ……殺した!わた、しが目的っ……なら、殺さなくて、良かった……でしょうっ……!?」

ぼろぼろと涙が溢れてきて、咥内に入り込んでくる。
カヤを見下ろしていた膳が、静かに口を開いた。

「この国の繁栄を阻む者は、全て邪魔だ」

息を呑む。

「……繁、栄……?」

呟いた声は擦れていた。
怒りのあまり、口から短い笑いが漏れた。

お前が。よりにもよって、お前がそれを口にするのか。
お前みたいな男が、この国の繁栄を願えるような立場だと言うのか。

「翠様を裏切ったくせに、よくもそんな事を……!」

あの人を欺いて、民を困窮に惑わし、私腹を肥やしていたお前が。
その言葉を口にして良いはずが無い!


「裏切りか。確かにそうとも言えるかもしれんな」

はっ、と自嘲気味に膳が笑った。

「私は確かに己と、己の臣下の利のために民を蔑ろにした。ああ、そうだ、それは認めよう!」

やけに落ち着いていたはずの膳の声が、初めて荒ぶった。

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