【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「い、いいの?」

「はい。私、今日はお勤めがお休みなのです。暇で暇で困っていたのですよ」

「でも……」

ほぼ見ず知らずの自分に、そこまでして貰うのは気が引けた。
何より、昨日のおにぎりのお礼だって出来ていない。

カヤが考えあぐねていると、ナツナは伺うように眉を下げた。

「駄目でしょうか……?」

あの日、カヤが一度ぴしゃりと断ってしまったからだろう。
少し、気遣うような表情だった。


"拒むかどうか決めるのは、一度受け取ってからでも遅くない"

昨夜、コウが言っていた事を思い出す。
まるで、この瞬間を予想していたかのような科白だった。


「いや……ぜ、是非ともお願いします!」

勢いよく頭を下げる。
良くも無い頭で、他人の気持ちを量るのは賢明では無い気がした。

「では、さっそく始めましょう」

ナツナは嬉しそうに笑うと、頼もしく腕まくりをした。




「お掃除の基本は、上から下になのですよー」

天井の蜘蛛の巣を叩き落としながら、ナツナが言った。

そう言われれば、確かにそちらの方が効率的だ。

何も考えずに床から掃いてしまっていた自分の馬鹿さに呆れつつ、ナツナを真似て分厚い蜘蛛の巣の膜を破っていく。

慣れない行為に悪戦苦闘するカヤとは対照的に、ナツナは二倍の速度で掃除を進めていた。

性格的にはのんびりとしていそうなのに、意外にとても手際が良い。

その腕前に見惚れていると、カヤの視線に気が付いたナツナが首を傾げた。

「どうかしましたか?」

「あっ、いや……手際が良くて凄いなと思って」

慌ててそう言うと、ナツナは小さく笑った。

「ふふ。昔からしているので、慣れているだけなのですよ。小さい頃に両親を亡くしてしまったので」

なんて事の無いような口調だった。

「そ、そうなの……?それは大変だったね……」

あまりにも流れるように言われた告白に動揺し、気の利いた言葉が何も出てこなかった。

ナツナは首を横に振りながら、答える。

「いえいえ、そうでもありませんよ。孤児になった時、翠様がお屋敷の台所で働けるようにして下さったので」

驚いた。あの神官様が、そんな慈善的な行いをしているとは思わなかった。

「私だけじゃありませんよ。翠様は、積極的にこの国の孤児を屋敷で働かせてくれるのです。おかげで私みたいな者でも、飢え死ぬ心配がありません」

「へえー……」

「本当に素晴らしいお方なのです。翠様は強大な占いの力で、いつだってこの国を救って下さります。だから私たちは皆、翠様を心から尊敬しているのですよ」

溢れんばかりの敬慕心だった。
翠様の事を語るナツナの顔はキラキラと輝いていて、眩しい。

「そうだ!」

すると、いきなりナツナが名案とでも言うように手を打った。

「カヤちゃんも屋敷で働きませんか!?」

「え、私!?無理だよ……!」

ギョッとしたカヤに、ナツナが顔を輝かせながら近づいてきた。

「大丈夫ですよ!翠様はお優しいですから!」

「ね!?」と期待するような眼でナツナに両手を握られ、思わず一歩後ずさる。

あの恐ろしく美しい女性が、そうも簡単にカヤを受け入れてくれるとは到底思えなかった。

それにカヤは、翠様に感じている不信感を無視する事は出来なかった。

「……あの人、そんなに良い人なの?」

自然とそんな言葉が口を突いて出て来た。

「え?それはどういう……」

意味ですか?と言いかけただろうナツナの言葉を、

「――――おい!女!」

鋭い声が遮った。


「……げ」

「ミナト!?」

カヤとナツナの声が重なる。
入口に仁王立ちになって立っているのは、ミナトだった。

右手は偉そうに腰に当てられ、そして左手は誰かの首根っこを引っ掴んでいる。
一体全体なんだと言うのだ。

「お前、この男に見覚えあるだろ?」

そう言ってミナトがぐいっと左手を引いた。
よろけるようにして木枠の外側から現れたのは、一人の男だった。

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