【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
ミナトの肩口を強く握り締める拳に――――大きな手のひらが重なった。

思わず顔を上げる。
ミナトは、驚くほど真っすぐにカヤを見つめていた。

「分かった。俺が戻るまで踏ん張ってろ」

短くそう言い、ミナトは俊敏に立ち上がった。


「おい、あの娘を連れていかせるな。何が何でもこの場に留めさせろ!」

どうして良いか分から無い様子で立ち尽くしていた部下達にそう声を掛け、ミナトはヒラリと馬に跨って走り去っていった。

その後ろ姿を最後まで確認せず、カヤは立ち上がって急いでナツナの元に走った。

頭を打った後遺症か、足がふらつく。
それでも歯を食いしばりながら前へ進み、そして懲りずにその屈強な男達の腕にしがみ付く。

「うわっ!また来やがった!」

「その子を放して!連れて行かないで!」

「痛えな!っくそ、お前が離せ!」

額を抑えつけられ無理やり引きはがされそうになるが、必死に踏ん張る。

「膳様!どうかお待ちください……!」

カヤの後ろから、遅れてミナトの部下達も走り寄ってきた。

しかしミナトと比べると声が気弱だ。
ミナトほど膳に歯向かう勇気がありそうには見えない。

膳もそれを見抜いたのか、ミナトの部下たちには見向きもせず、未だに抵抗しているカヤの腕を掴んで乱暴に引き寄せた。

「いい加減にしろ、小娘!」

「いっ、た……!」

そして容赦ない力でカヤの髪を自らの方に引っ張った。

おのずと膳と顔を突き合わせる形になり、カヤは目の前にある膳の眼を呪い殺してやる勢いで睨み付けた。

「あんた、こんな事して恥ずかしくないの!?自分の自尊心を傷つけられたからって関係の無い民を巻き込むのはお門違いでしょう!」

吐き捨てるように言うが、カヤの激憤は全くもって和らがない。

「自尊心?何の話だ?私は禁を犯したお前達を、ご多忙な翠様に代わってまともな人間に更生させようとしているだけだ」

「はあ?ふざけるな!更生どころか逆に性格歪むわ!……っていうか、いい加減に、離せっ……!」

懇親の力でその手を振りほどき、カヤは怒りに任せて膳を指さした。

「何が豪族だ!何が翠様だ!んなもん位が無けりゃただの人間でしょう!己惚れるな!」

カヤもナツナもミナトも膳も翠様も、何も変わらない。

ただ生を受けて、呼吸をして、食事をして、睡眠を摂って、皆変わらない生活を送っている。

それなのに、この男はなぜ目に見えない地位と言う物を、こうまでして振りかざしているのだ?


「この国は可笑しい!あんたみたいなのが上に立ってるから、民が困窮するんだ!」

初めてこの国に来た日から溜まっていた鬱憤が、堰を切ったように溢れてくる。

それは一度吐き出してしまったら、留まることを知らないかのように流れ出てきた。

「どれもこれも翠様とやらが、あんた達を甘やかしているせいだ!こんなの悪事を黙って見逃しているようなものじゃないか!」

「おい、娘!口が過ぎるぞ!」

「うるっさい、黙れ!」

飛んできた膳の言葉を、腹の底から叫んだ声で掻き消す。

「神官様?この国の頂点?聴いて呆れるわ!」

怒りのまま膳に向って猛りたつ。
激情に駆られすぎて、もう周りの景色も音も、何も入ってこない。

そのため、カヤは気が付かなかった。


「何も見ようともせず、ただ崇められるだけの存在なら翠様なんて要らないでしょうッ!」


――――いつの間にか、カヤ達以外の全ての人間が膝を付いていた事に。




「何事だ」

その瞬間、一滴の雫が荒れ狂った海を鎮めた。



賛美のようなその波紋が耳に届いた瞬間、カヤの血の気はサッと消え失せた。

ギギッ…と錆びつく首を回して振り返る。
視界に映ったその人に、カヤはまた一瞬気が遠くなりかけた。


「す、翠様!」

隣で膳が慌てて地面に膝を付いた。

翠様は相変わらず人間の傑作とでも言うような風貌をして、馬の背中の上からカヤたちを見下ろしている。

その後ろから、同じく馬に乗ったタケルと、そして心配そうな表情のミナトが現れた。


(た、確かに膳よりも位の高い人を連れてきてって言ったけど……!)

ミナトめ。よりにもよって翠様を連れてきたらしい。


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