【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
一瞬でその表情に『困惑』という感情が現れ、虚空に近かった表情は消えうせる。


翠は立ち上がり、カヤに近づいてきた。

「どうした?そんなに息切らして……って、おい?」

その翠とすれ違うようにして、カヤは部屋の奥の祭壇へと向かう。

そして祭壇の布を捲り、小さな壺と小汚い布を引っ掴んで、再び翠の元へ戻った。

「翠。今すぐ『コウ』になって」

壺と布を勢いよく翠の目の前に差し出す。

「……え?」

「行こう、外に。一緒に踊ろう」

「いや、俺が行ったらせっかく皆が楽しんでるのに水を差すから。そんなの悪いって……」

「コウの姿なら大丈夫。暗いし、絶対に誰にも気づかれないよ」

必死に訴えるが、翠は首を縦に振らない。
ただ困ったようにカヤを見つめるだけ。

「カヤ、別に良いんだよ。これが当たり前なんだから」

そうやって、諦めたような苦笑いする。
口ではそう言ってるが、翠の表情は絶対にそんな言葉を語ってはいなかった。


「嘘つかないで」

きっぱりと言ったカヤの言葉に、翠の下手くそな笑顔が引っ込んだ。
明らかに動揺したその様子に、カヤは一気にまくしたてる。

「『別に良い』なんて本当は思ってないくせに、そんな事言わないで」

翠様に向かって、何を偉そうに言ってるんだ。
頭の片隅で冷静な自分が叫んでくるが、振り払うように無視する。

だって、翠のお世話役になると承諾した日、カヤは決めたのだ。

「言っとくけど、翠が思ってる『当たり前』って、全然『当たり前』じゃないからね。誰かの口から直接聞いたわけでもあるまいし、それを勝手に翠が『当たり前』にしちゃ駄目だよ」

幾重にも貴方を覆う、煌めく水の膜。
たった一枚。外側のたった一枚だけでも、良いから。

「だから、ねえ、翠。私と少しだけ『悪い事』をしよう」

少しずつ剥がそうと、剥がしたいと、確かにあの時そう思ったのだ。



「カヤ……」

カヤを見つめる翠の瞳が、僅かに揺れた事に気が付いた。
同じように、心が揺れている事にも。

「それでも行かないって言うんなら……」

ガシッと翠の衣の襟元を掴む。

「無理やり脱がせる。本気だよ」

脅すように言うと、翠が慌てたように首を振った。

「ま、待て、分かった!落ち着け!」

カヤの眼が本気だと感じ取ったらしい翠は、カヤの手から壺と衣を受け取った。

「……着替えるから、外で待っててくれ。絶対に着替えるから」

念を押すように言われ、カヤは大人しく部屋の外で翠を待った。


しばらくすると入口の布が捲られ、翠が警戒するように顔だけ出してきた。
その肌は既に褐色に塗られていて、髪も無造作に一つ結びになっている。

「……本当に行くのか?」

「本当に行くんです」

そう言いながら部屋に入る。
翠はきちんと衣も着替えたようで、すっかり『コウ』になっていた。

「念のため布被っていこうか」

翠が手にしていた布を貰い、ふわりとその頭に掛ける。
うん。これで誰が見ても翠様とは思うまい。

「よし、行こう」

カヤは翠の手首を握り、部屋から連れ出した。
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