御曹司は偽婚約者を独占したい
「でも、美咲がそこまで言う、美咲のお父さんのコーヒーも、いつか飲んでみたいな」
再びカップに手を伸ばし、何気なく言った近衛さんの隣で溢れそうになる涙を必死に堪えた。
人生は、いつ何が起こるかわからないものだとはよく聞くけれど、きっとこういうときに思うんだ。
だって、昨日までの私は、こんなにも幸せだと思える明日が来るなんて、まるで想像もしていなかった。
まさか自分が、彼の偽者のフィアンセを務めることになることも……思ってもみなかった。
「……ありがとうございます。実現は難しいですけど、でも、近衛さんの今のお言葉を聞いたら、父もきっと、喜ぶと思います」
精一杯涙を堪えて答えると、近衛さんが不思議そうに首を傾げた。
「実家の喫茶店は、昨年父が体調を崩したことを機に閉店したんです。だから、今はもう、営業はしていなくて……」
思わず苦笑いを零せば、近衛さんが押し黙る。
今から約一年前、仕事中に突然父が倒れたという連絡をもらった私は、母に知らされた病院へと急いで向かった。
聞けば、父は以前から身体の調子が思わしくなく、定期的に通院もしていたとのことだった。
離れて暮らす私には心配をかけたくない。
そんな父の想いを汲み、母も私には黙っていたのだと、そのとき初めて知らされた。