mimic
そうと決まれば早かった。気がつけばサンダルに爪先を引っかけ、ドアノブを回していた。そこで、静かにドアを閉めればいいものを。わざと大きな物音を立ててしまうあたりが、わたしは子供じみている。

気を取り直して足を進め、向かい側のマンションの前に差しかかったとき。


「あ、」
「店長……、こんばんは」


ちょうど帰宅した阿部店長と遭遇した。折り畳み式の自転車を引っ張っている。


「ひとりでお出かけ?」
「海まで散歩です」
「ああ、そうなんだ。だったら、」


言いながら、阿部店長は自転車をひょいっと持ち上げて向きを変えた。


「もしよかったら、俺にも案内してもらえないかな。この辺の地理にまだ詳しくなくて」


断る文句が浮かばない。

わたしが黙ったままでいると、阿部店長は先に潮風が流れて来る方に、勝手に歩き出した。

成り行きで、海岸線沿いの道をふたりで並んで歩く。
生暖かい夜の風は、涼しくするどころか身体中を湿らせた。西日がキラキラと海面を照らしている。


「金魚は元気?」
「はい」
「名前とかつけてるの?」
「いいえ」


店長は笑いながら言ってすぐに、唇をキュッと結んだ。


「そっか……。女の子はみんなつけたがるものかと思った」


声色が低くなった。
点滅し始めた歩行者信号を見上げ、諦めたように阿部店長は足を止める。

横断歩道を渡ったら、海水浴を楽しめる砂浜の入り口なのに。早くそこまで行って、そして早く引き返して帰りたいわたしも、仕方なく止まった。
< 68 / 117 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop