冷徹騎士団長の淑女教育
アイヴァンは壁際に移動すると、水筒の水を一気に飲み干した。口もとに残った水滴を腕で拭い、一息つく。

(クレアは、もう邸を発っただろうか)

思い浮かぶのは、彼女のことばかりだった。

彼女には、もう表立って会うつもりはなかった。もうすぐ彼女は自分の立場を知り、本来いるべき場所へと戻っていく。そこに、アイヴァンは不要だ。彼女はアイヴァンが気やすく触れてよい相手ではない。

自分の選択は間違ってはいない。そう確信しているのに、胸には後悔に似た念が込み上げてやまない。

ふと気を緩めたすきに思い出すのは、抱きしめたときに感じた彼女の柔らかなぬくもりだった。

「……くそっ!」

考えのまとまらない苛立ちから、アイヴァンは拳でガンッ!と壁を叩く。

傍にいた騎士の一人が「ひっ」と声を上げ、傍から退散した。




「アイヴァン様!」

そこに、数人の騎士を引き連れてベンが姿を現す。

山高帽を被った庭師の男が屈強な騎士を従えている様子は、改めて見れば不自然極まりない。何事かと、訓練所にいた騎士たちが一斉にこちらへと奇異の目を向ける気配がした。

「……どうした? クレアは、もう連れて行ったのか?」

アイヴァンの声が、自然と低くなる。新たな邸への移動距離を考えたら、ベンがここにいるのはおかしい。本来であれば、今頃はクレアとともに馬車に乗っている時間だろう。

それに、普段は寡黙なベンが声を荒げているのにも不審が募る。

「いいえ。俺が行くより前に執務官のダグラスが彼女を連れて行ったとレイチェルが言っていました。彼にも、クレア様の移動をお願いしていたのですか?」
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