約束~悲しみの先にある景色~
そして。



「ああお母さん…いやさっきね、瀬奈がここでコップを割っちゃってさ」


私に話し掛けた時とは打って変わって、いつもの優しいお父さんの声でお母さんに話し掛けた。


(えっ…?)


その変化の仕方に、私は縮こまった身体を解しながら固まってしまった。


(何で?何でそんなに違うの……?)


「えっ、コップ?ガラスは片付けた?」


混乱状態に陥っている私には気付かないのか、お母さんはそう言いながら床に散らばったコップの破片とオレンジジュースを見つけて眉をひそめた。


「いや、今瀬奈が割ったから、今から片付けようと思ってて…」


ごめん、と両手を合わせて謝る彼の姿は、誰もが見てもお母さんに尽くす優しい父親の様だった。


(……何で…)


けれど、私はもう分かってしまっている。


その笑顔も、その素直に謝る姿も、全て。


彼が必死に形成した、偽りの仮面に過ぎない事を。


お父さんの、素の姿は。


私だけが知っていて、素の姿はこの世のものとは思えない程醜く酷いという事を。


「っ……」


その真実に早くも気づいてしまった私は、また泣きかけたけれど。


(お父さんに、刺される……)


お父さんのあの時のジェスチャーが、しつこい程邪魔をしてきて。


涙は、いとも簡単に奥へと引っ込んでしまった。
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