約束~悲しみの先にある景色~
こんな状態に陥っているのになお、お母さんは私とお父さんの変化に全く気づいていなかった。
お父さんは、お母さんの前では私やお母さんに優しく接していたし、私もお母さんの前ではずっと笑顔で過ごしていた。
不自然な程、笑顔で。
お父さんも、お母さんの前だけ私に笑ったり優しくしてくれたけれど、もちろん目は笑っていなかった。
お母さんが少しでも私達2人の前から居なくなると、お父さんに、
『お前にしつけをしているのはお母さんも承諾しているんだ。分かったらお母さんに言うなよ、言ったらどうなるか分かってるな!?』
としつこい程言われていたから、
「分かりました、言わないので殺さないでくださいごめんなさいごめんなさい」
と、何度も謝っていた。
この頃になると、私はお父さんと2人で話す時にはほぼ敬語を使い、何も無いのに謝る事が増えていた。
それこそ、語尾の最後に“ごめんなさい”と言う程。
小学4年生の頃には、虐待の頻度は1週間に約4,5回に増えた。
お父さんはわざわざ仕事を早く終わる様に切り替え、私を心ゆくまで傷つけた。
「ごめんなさい」
「ご飯はいりません」
「お風呂に入らなくて大丈夫です」
「許してください」
「何もいりません、何も欲しがりません」
「もう悪い事はしません」
お父さんは、お母さんの前では私やお母さんに優しく接していたし、私もお母さんの前ではずっと笑顔で過ごしていた。
不自然な程、笑顔で。
お父さんも、お母さんの前だけ私に笑ったり優しくしてくれたけれど、もちろん目は笑っていなかった。
お母さんが少しでも私達2人の前から居なくなると、お父さんに、
『お前にしつけをしているのはお母さんも承諾しているんだ。分かったらお母さんに言うなよ、言ったらどうなるか分かってるな!?』
としつこい程言われていたから、
「分かりました、言わないので殺さないでくださいごめんなさいごめんなさい」
と、何度も謝っていた。
この頃になると、私はお父さんと2人で話す時にはほぼ敬語を使い、何も無いのに謝る事が増えていた。
それこそ、語尾の最後に“ごめんなさい”と言う程。
小学4年生の頃には、虐待の頻度は1週間に約4,5回に増えた。
お父さんはわざわざ仕事を早く終わる様に切り替え、私を心ゆくまで傷つけた。
「ごめんなさい」
「ご飯はいりません」
「お風呂に入らなくて大丈夫です」
「許してください」
「何もいりません、何も欲しがりません」
「もう悪い事はしません」