夢物語
 「え……」


 居間に戻って愕然とした。


 西本さんがいない。


 優くんと二人きり……。


 トイレに行ったのかと思ったけど、


 「父さんは会社に戻ったよ」


 きょろきょろしていた私に、優くんが告げた。


 うそ……!


 大急ぎで携帯に電話をかけ、戻ってきてもらおうかと思ったところ、


 「父さん気を遣って出かけたんだ」


 優くんがそんなことを言う。


 「気を遣って……?」


 何が何だか分からない。


 「俺が……、真由さんときちんと話をするようにと」


 真由さん。


 名前を呼ばれたのは何年ぶりだろう。


 おそらく家庭教師をしていた頃以来だ。


 でもあの当時は「真由先生」だったので、「真由さん」と呼ばれるのはきっと初。


 年甲斐もなく胸が高鳴ってしまう。


 「話って……」


 そう答えるのがやっと。


 「まず真由さんと父さんのこと。いつまでたっても籍を入れていないけど、そろそろ考えた方がいいんじゃないかな」


 「え……」


 何を今さら。


 私が籍を入れなかったのは、優くんと将来相続でもめたくなかったからなのに。


 「もしかして俺が、遺産相続で真由さんに噛み付くとでも思ってる?」


 私の心を見透かすように、優くんが述べた。


 「安心して。父さんが稼いだ分は父さんのもの。自分の分は自分で何とかするから」


 「……」


 「だから早く籍を入れてほしいと思ってる。子供だってまだ望めるんだし」


 「子供なんて、この年齢で……」


 西本さんと付き合い始めた頃は、すぐに結婚して子供も産んでほしいと言われたし、私も最初はそう望んでいたけれど、時間が経つにつれて優くんを傷付けたことが重くのしかかるようになり、両方とも望まないと西本さんに告げた。


 西本さんは残念そうにしていたけれど、最終的に私の意思を尊重してくれた……。
< 300 / 302 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop