過去の精算
玄関のドアを開けると、誰も居ない部屋へ、“ただいま!” と、声をかける。
返って来るはずのない返事の代わりに、シーンと静まり返った部屋が私を迎えてくれる。
「さぁ、作ろう!」
流しの下から鍋をだし、まずは大根を茹で、竹串がスーと通ったら、大根を取り出し、ブリのアラをサッと湯どうして臭みを取る。
「お母さんが作るぶり大根、ホントおいしかったなぁ。
作り方教えて貰っとくんだった…」
今更後悔しても仕方ないが、お袋の味と言うものは、教えてもらってない。
母は、家の手伝いは一切私にはさせなかったのだ。家の手伝いするより、勉強に時間を使うか、ピアノの練習をしなさい。と言って、させてくれなかった。
ピアノは発表会の為とか、音大に進学するとか、そういう意味での練習では無く、全て外科医になる為だった。
その他にも、ティッシュを使って糸結びの練習をした。
ピアノの練習は、指先を器用に動かせる様にする為だと、ずっと思っていた。
でも、最近になって、それだけではない事が分かった。
脳科学の観点でもピアノを含む音楽領域のレッスンを受ける事はメリットが有ると言われてる。
カナダの脳神経外科医、ワイルダー・ペンフィールドの研究によると、脳は各部位が分業しており、動作ごとに対応する脳の部分が異なるそうで、常に脳全体が使われているわけではないそうだ。
勉強するという行動は脳をたくさん使う印象があるが、計算問題を解く、文章を読むと、いった作業の時は、驚く事に脳の一部分しか使用していないそうだ。
でも、ピアノを弾きながら歌うという動作を行うときは、「感覚」をつかさどる部分と「運動」をつかさどる部分の両方を使い、脳全体的に刺激していることが分かっていると、世界五大医学雑誌で読んで知った。
だから母は、私をピアノ教室へ通わせていたんだ。
生活に余裕などなかったのに、ピアノ教室は通わせ、母は私を外科医にさせる為に、一人頑張ってくれていた。
「お母さん、ぶり大根出来たよ?
お母さんみたいに上手に出来てないけど、食べてね?」
母の位牌の前にぶり大根を供え、手を合わせる。
その時、雨音がして窓の外へと私は目を向けた。
「あっ洗濯物!」
お腹が空いていたせいなのか、洗濯物を取り入れる前に、食事の支度に入ってしまったのだ。
「あー濡れちゃった…
仕方ない。
明日は遅番だし洗いなおすか…」
がっくりと肩を落とし、濡れてしまった洗濯物を再度洗濯機へと放り込む。