過去の精算
その後、夫人と事務長は弁護士に連れられ、院長室を出て行った。
「ママには随分お世話になり、なんとお礼を言ったらいいか…」と言う院長に対して、ママは借りを返しただけだと言う。
「でも、沙織さんが亡くなっていたなんて知らなかったわ…
もしかして、雨の中松の湯の前に立っていたあの日に…?」
ママの言葉に、院長は無言で頷いた。
「そう…あの日に…」
お母さんが死んだ日に…
この人があの場所に居たなんて…
どんな気持ちで?
「母が死んで、重荷が減ってホッとしてたんでしょ?」
「違う!」
「なにが違うのよ!?
あなたはずっと、私を騙し続けた。
母が亡くなった後も、ずっと!」
私は、もう用は済んだからと席を立とうとしたが、ママはまだ済んで居ないと言う。
「ちゃんと話す約束だったでしょ?」
「話なら、もう…」
話は済んだと言おうとしたら、前谷君はテーブルの上に手術承諾書を出した。
なにこれ?
「親父、もういいよな?
彼女は、病院を継ぐと言ってくれた。
サインしてくれ?」
え?
サインってどう言う事?
「親父は頭部に腫瘍がある」
腫瘍?
「今まで、何度か東京の病院で放射線治療をしていたらしいが…」
らしいが…って…
どう言う事?
「最近様子が少しおかしいと思って、検査してもらった。
放射線を当て壊死した脳が膨張して、神経を圧迫してる。
他にもいくつか新たな腫瘍があるんだ。
それで、手術を勧めたんだが、手術が上手く行っても、麻痺が出るかもしれない。
もしかしたら…記憶障害を起こす可能性もあるんだ」
「手術しなかったら…」
私の質問に、彼は近い将来脳全体に広がるという。
「だから、早めに手術をと勧めていたんだが、未琴…君に、病院を託してからだと言って聞かなかったんだ」
苦しそうにいう彼に、私は慰めの言葉を言うどころか、酷い言葉を放った。
「じゃ、私が病院継がなきゃ、この人死ぬんだ?」
冷たく言う私を、ママは“ いい加減にしなさい!” と叱責した。
「未琴…
君が病院を継ぐか継がないかは、君の自由だ。
それで親父が手術を受けなくて、死んでも君には責任は無い」
そうよ…
この人は母と私を捨てた人、私とは何の関係も無い人なの…
この人がどうなろうと、私には関係ない。