流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 振られていた体が落ち着いたところでロープを伝って岩壁をよじのぼる。

 上でナヴェルが手を差し伸べている。

 老人の手は分厚い。

 ぐいと引き上げられたところには人が通れるほどの岩の割れ目が開いていて、水がしみ出していた。

 シュライファーに向かってロープを投げてから、ナヴェルが穴をのぞき込んで説明した。

「この裂け目から中に入ると直接地下牢に入れますぞ」

「脱出はどうするのですか。衰弱した僧正殿をここから連れて出るのは無理でしょう」

「正面突破ですな。城というものは忍び込むのは難しくても、脱出は強引な方が防ぎにくいものですからな。見張りがいなければ堂々と逃げられますぞ」

 老人はこともなげに都合の良いことを言ってのける。

 エリッヒは思わず笑ってしまった。

「ずいぶん簡単に言いますね」

「世の中は二つ。やるかあきらめるかですからな。やると決めればなんでもできますぞ」

 そううまくいくことばかりではないだろうに。

 よく今まで生きてこれたものだ。

 だが、それはけっして無茶な博打とは違うのだろう。

 日頃の鍛錬に裏打ちされた自信がなければできない決断だ。

 エリッヒは時代遅れの騎士道精神の権化に感心していた。

 シュライファーがロープをよじ登ってきた。

「では行きますぞ」

 ナヴェルを先頭に岩穴に潜り込む。

 中はせまく暗いが、手探りで進むとすぐに奥の方に明かりが見えてきた。

 松明のともされた地下空間が開けているのだった。

 そこが地下牢だった。

 地下牢と言っても鉄格子や扉があるわけではなく、手錠と鎖で拘束しておくだけの洞窟のような場所だ。

 見張りの兵はいない。

 すでに持ち場を放棄して逃げ出したようだった。

 死臭が漂う地下空間には白骨化した死体がいくつも放置されていた。

 洞窟内は外よりはましだが、冷気がよどんでいて、体の震えを止めることはできない。

 こんなところに放置されていたら老人でなくても持ちこたえることはできないだろう。

「僧正殿!」

 呼びかけてもなんの気配もない。

「僧正殿! 助けに参りましたぞ」

 うめき声がきこえた。

 ナヴェルが駆け寄る。

「殿下、僧正殿はこちらですぞ」

 駆け寄ったエリッヒの目に入ったのは骨と皮ばかりになった老人の姿だった。

 髪は抜け、目は落ちくぼみ、ほとんど骸骨のようだった。

 何かを言おうとしているが、顎を振るわせるばかりで言葉にならない。

「しっかりしろ、僧正殿。今ここから連れ出してやる」

 握った手の冷たさに思わず跳び退きそうになる。

 だが、ためらっている場合ではない。

 エリッヒは老人を背負って立ち上がった。

< 137 / 151 >

この作品をシェア

pagetop