流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 体の奥から熱いものがこみ上げてくる。

「すまん」

 エリッヒはもう一度同じ言葉を口にした。

「全部……、なくなってしまった」

 女は男の胸に額を押しつけてうなずいた。

「全部じゃありませんよ」

 エミリアもまた男にしっかりと抱きついた。

「あなたが……、あなたがご無事なら、今はただそれだけでいいではありませんか」

 女が顔を上げる。

 男は愛おしげに目の縁の青痣を撫でた。

 指先を濡らす涙を冬の風が乾かしていく。

「エミリア」

「エリッヒ」

 お互いの名を呼び合い、見つめ合う二人の間にはよけいなものは何もなかった。

 ただお互いのぬくもりを感じ合えればあとは何もいらない。

 今まで言えなかった想いが交錯する。

 あとはただお互いが正直になるだけでいい。

 もしも言葉が二人を惑わせるというのなら、今ここにいるという事実、ただそれだけを受け止めればいい。

 このぬくもりが何よりの証なのだから。

 ……もう他には何もいらない。

 二人の間にあるものが多すぎたのだ。

 と、その時だった。

「おお、まさか! お嬢様! エミリアお嬢様ではありませぬか!」

 帰還した王女のもとへナヴェル伯父が駆けつけた。

 一歩退いたエリッヒからエミリアを奪い取ると甲冑をまとったまま固くエミリアと熱く抱擁を交わす。

 王女は顔をしかめながらも伯父の抱擁を受け止めていた。

「伯父様、痛いですわよ」

「わはは、これはすまぬことでした。しかし、姫様もよくぞまたナポレモに戻られましたな。アルフォンテ十二騎筆頭ボシュニア公爵家名代としてこれほどうれしいことはありませんぞ」

「伯父様もご無事で何よりですわ」

 ナヴェルは一歩退くと兜を脱いだ。

「姫様、わしもこれを機に引退することにいたしましたぞ。武人として思い残すことは何もありませんからな」

 それはエミリアにとって驚きのことであった。

「まあ。では、公爵家はどうなるのですか」

 ナヴェルはキューリフを呼んだ。

 かたわらにはマーシャも控えている。

「わしはキューリフ殿を養子に迎えることにしましたわい。年は取りたくないものですわい。わしが足を取られて敵に組み伏せられたところをこの青年に助けられましてな。これもまた何かのご縁というものでしょうな」

「ま、そうでしたの」

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