流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
◇ 女の影 ◇
エリッヒの言葉通り、二日目の夜は昨夜よりも大きめの宿場町に逗留できることになった。
宿も昨夜の納屋とは大違いで、きちんと整えられた寝台のある部屋だった。
おまけに、食堂で温かいスープにありつくこともできた。
ナポレモの城館での生活に比べてしまえば、もちろん不足はある。
しかし、暴漢に襲われ、火災から逃れ、野宿を経験した今となっては、まともな宿屋に泊まれることがこれほどありがたいものなのだと、エミリアは感謝の気持ちで一杯だった。
エリッヒが桶に水をくんできて、部屋の床に置かれたたらいに水を張った。
「お湯はないが、体を拭きたければ使え。俺はちょっと用事で外に出てるから」
「馬の手入れですか」
「ま、そんなところだ」
一人にさせるために外へ出て行こうとしてくれたのだろう。
エミリアは男の気づかいに感謝した。
二人同室であること自体はかえって安心だった。
また暴漢に襲われるかもしれないのだから、一人にされる方が怖かった。
昨夜の野宿も、エリッヒと一緒に眠ったことで、不安はなかった。
ただ、裸体を見られることに抵抗はあった。
自分の胸には『死神の手形』があるのだ。
エミリアは結び紐をほどいて首まで隠した修道女のようなドレスを脱いだ。
じゅくじゅくとした膿はあいかわらずしみ出してきている。
生き残ったことに感謝すべきなのか、死神に目をつけられたことを呪うべきなのか、自分には分からなかった。
神はいったい自分にどのような運命を背負わせようというのだろうか。
暗い気持ちになりかけたが、体を拭いてさっぱりすると、落ち込んでばかりいてはいけないという気力がわいてきた。
エリッヒとの旅にも慣れてきた。
見たことのない景色に出会うのも楽しみであった。
ナポレモの狭い城館に閉じこもっているだけでは経験できなかったことだろう。
運命は過酷かもしれないけれど、私は生きている。
ならば、その結末を見届けるまでは生きていよう。
エミリアはまたドレスを着て、長い髪を整えようとした。
しかし、ふだん、女官達にまかせていたせいで、どうにも髪がうまくまとめられなかった。
鏡に向かいながらベッドに腰掛けて、なんとか元の形に戻そうとするのに、どこかおかしくなってしまう。
こっちをいじればそっちが崩れ、向こうを引っ張れば、こちらがまた合わなくなる。
あきらめて簡単にまとめておくしかなかった。
こんな髪型ではエリッヒに笑われるだろうか。
不意にそんなことを思って気がつくと、鏡の中の自分は笑顔だった。
なぜだろうか。
エリッヒのことを思い浮かべて笑顔になるなんて。
胸の鼓動がはやくなった。
急に体が熱くなる。
エミリアは夜風にあたろうと窓辺に立った。
昨日の村とは違い、それなりに賑わいのある宿場町だった。
夜でも家の窓辺に明かりが灯り、人通りもある。
酔っ払いのわめき声に混ざって陽気な歌声や手拍子も聞こえてくる。
エミリアは夜中に外出したことはない。
昼間ですら気ままに街を散歩するということもなかった。
エリッヒとならそれがかなうかもしれない。
いてもたってもいられなくて、エミリアは部屋を出た。