流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 言葉とは裏腹にエリッヒは笑顔を浮かべていた。

「何を笑っているのですか」

「こちらが向こうに気づいてないと思わせるんだ。表情を読み取られないようにしろ。無理にでも笑え」

 エミリアは頬を両手でつまんで変顔をした。

 つぶれたパンのようだ。

 ナポレモの城館で兄たちを笑わせるためによくやっていたものだ。

 エリッヒが吹き出す。

「笑わせろとは言ってないだろうが」

「似合いますか」

「ああ、お似合いだよ。あんたはなんでもよく似合う」

「まあ、馬鹿にして」

 頬を膨らませるエミリアに向けて片目をつむってみせてから、エリッヒは立ち上がった。

「街中で暴れるわけにはいかないから、とりあえず街を出て、奴が追ってくるのを待ち伏せしよう」

 何も気がついていないふりをしながら、馬の世話をしていた子供に礼を言って、二人は広場を出た。

 エミリアは馬にまたがり、エリッヒが綱を引いた。

「わざわざ目立つように宝石を指にはめていたということは、俺たちに自分の姿を示したかったんだろう」

「ということは?」

「おとりだな」

 街を出て、草原の中の街道を進んだところで雨が降り出した。

 轍に水がたまってたちまち道がぬかるんでいく。

 馬が跳ねる泥でエミリアの脚も汚れる。

 エミリアにとって、このようなことは初めてだった。

 ナポレモの城館では雨に濡れることすらなかった。

 中庭を散策中に雨が降ればおつきの者が傘をさしかける。

 そんな生活が当たり前だった。

 ここには何もない。

 水を含んだ服が重たい。

 濡れた体が冷えていく。

 手綱をつかむ手がしびれてきた。

 足をとられないようにエリッヒは道端の草の生えたところを歩いている。

「泥だらけですわね」

「そんなことを気にしている場合じゃないさ」

「体が冷えます」

「我慢しろ」

 誰も通らない街道に、雨音とぬかるみを進む馬の足音だけが耳にまとわりつく。

 突然、馬がいななき、跳ねた。

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