この人だけは絶対に落とせない
仕事上がりを待ち伏せされたその帰り、武之内 智は久しぶりに清々しい感覚に頬をほころばせながら、煙を吐いた。
半分空いたサイドウィンドウから、煙がどんどん外に流れていく。
こちらから絶妙に仕掛けて、ああいうしっかりとした手ごたえを完璧に、はまる感じで手にしたのは本当に久しぶりだった。完全に緋川がこちらのことを心に留めたのが、手に取るように分かった。
まだまだ自分はイケると、確信する。
この離婚を機に、本社と繋がった緋川を手元に置いて、本社の行き先を探りながら、自分の身の振り方を掴んでいれば店長への近道が見える。緋川が話しかけてきた時、瞬時にそこにたどり着いた。
頭の中では、緋川を褒め倒しながら、柳原を落とし入れる残忍な方法が先行していた。
とにかく、離婚をする。その後は本社に連絡をして同時に、柳原を降格、異動。次いで緋川を手中に収める。その際、緋川とはつかず離れずくらいが丁度いい。物にしてしまうと後々面倒だし、長くは続かないということが分かり切っているからだ。
店長になるまでにはまだまだ時間がかかる。それまで、緋川を繋げておく必要がある。
そこまで考え倒し、タバコを灰皿で捻じ曲げる。
最後の一煙を吐き出し、最高に充実した気分を味わいながら、いつもの駐車場に車を停め、マンションへ入る。
玄関まで来た時、ようやく依子との離婚話を詰めることを思い出し、足を止めた。
それくらい、今の武之内の中は、出世の近道を得た喜びで満ち溢れていた。
緋川が店に出勤する最終日のシフト上がりの1時間前、武之内は休みだったが、わざわざ私服でさも、急ぎの仕事を思い出したかのように出勤してきていた。
昨日しておけば難なかった仕事も、当たりさわりがない程度で残してある。
数人に「どうしたんですか?」と声をかけられ、「し忘れたことを思い出して」と答えながら
売り場でちらと雰囲気を確認する。
今日は時間通りに上がれそうだ。
そして一件だけ客に電話を入れ、事を終える。時間にして5分。
だがまだ帰るには早いので、今日来た新しい通達メールなどに目を通し、時間稼ぎをする。
午後18時。緋川が事務室の前を通り抜け、スタッフルームに入ったのを横目で確認してから、帰り支度の準備をする。
今日は花束などを準備されていたので、しばらく出て来るのに時間がかかるかもしれない、と思ったが、そうでもなく。笑顔で数人に見送られながら、今度は裏口に向かっていった。
階段のところで、まだ仕事がある数人とは別れ、ようやく1人になる。
そこでようやく、
「お疲れ」
と後ろから声をかけた。
「ああ!あれ? 今日休みですか?」
日中いなかったが、どうも気がつかなかったようだ。
「うん。し忘れたことを思い出してね」
「へえー…」
言いながら、私服を確認されていることが分かる。紺色の細身のパンツに白シャツ、黒のカーディガンだ。無難で当たり障りない。
「私服、初めて見ました」
そう言った時は、褒めている証拠だ。
「そう……。ああ、今日最後の出社だったんだな」
「ええ、こんなに花束もらって感激です! 生花ってもらったの初めてかも!!嬉しいもんですね!でもどこに飾ろう」
言いながら、花の匂いを嗅いでいる。赤や黄色のバラのような花束を抱え、随分嬉しそうだ。
「あ……そう……」
俺は予定通り、裏口付近で言い出す。
「その……」
裏口を出て、ドアを閉めてから言葉を出した。
「離婚したんだ」
緋川は花束を持ったまま、固まった。
「緋川には迷惑をかけたし、一応、言っておこうと思って」
「………そ……」
「あの日」
言いかけたところで背後のドアが開き、人が出て来る。
「お疲れ様でしたー」
主婦だ。横目で見られる。
「お疲れ様でした」
俺はいつも通り返事を返した。
もう一度緋川を見た。花束に似合わぬ思い詰めた顔をしている。
「その……私も……」
言いかけた所で、もう一度背後のドアが開く。
「お疲れッス」
また横目で見られた。
「……場所、変える?」
予定通り提案する。
「あ……はい……そう……ですね。良ければ」
言いたいことがあるようだ、悪い方向ではない。
「どこにする?」
「あ……その、カフェかなんかで。ファミレスとか行っても多分食べられないし」
腹が減ってないということか。軽く夕食を食べるのもありかと思ったが、そういう気分ではないらしい。
「うん。いいよ。カフェ……」
「あ、あのそこの24時間カフェ。あそこでいいですか? 私あそこ結構好きで」
あまり雰囲気のないところだ。が、まあ、いい。
「うん、場所も分かる。じゃあ、そこで」
「……はい……そこで」
お互い別々に車に乗り、カフェに乗り付ける。
さて、緋川が何を言おうとしているのかは想像がつかず、しかし、武之内は顔の笑みを止められないまま、車内でタバコを一本吸い切る。
それぞれ駐車場に停車させて、中へ入る。
もちろん花束を置いてきた緋川は、席に着くなり、メニューを開いてこれにしようとコーヒーフロートを指差した。
「美味しいの?」
と、聞いてもそんな甘い物は食べる気はないが。
「はい、これが好きなんです。おススメです」
と、言われたが、苦笑して、
「僕はコーヒーでいいよ。ホットで」
「…それだけでいいですか?」
「うん……緋川は他に何か食べる?」
「え、いえ。今はそれだけでいいです」
それぞれ注文すると、すぐに緋川が
「あの、さっき言いかけたことなんですけど」
と、再び真剣味を帯びた表情をして、テーブルに体重をかけるほど乗り出して話し始めた。
「うん」
俺も、テーブルに両肘をかけ、小声で話せるように顔を近づける。
「あの、もう離婚って決まったんですか?」
頭の中をフラットにさせる。
「決まった。離婚届けはあの後すぐに書いて提出した。その翌日、本社にも報告したよ」
「………ああ…………」
緋川は力が抜けたようにソファに背をもたせて、
「遅かったですね……」
と、口に出した。
丁度良いタイミングでコーヒーが運ばれてくる。それを2人して見つめながら、
「遅かったとは、どういうこと?」
意味がどれにもつながらず、顔を顰めた。
「……実は……。その……」
言いながら、もう一度緋川は背を伸ばした。
「実は私、柳原副店長に、奥さんをそそのかすのはやめてほしいって言ったんです。すみません、了承を頂いたわけじゃなかったのに」
「………」
間でまさかそんな風に動いていたとは、思いもかけず無表情になる。
「そしたら、そんなつもりはない、あの時だって俺は書類に目を通しながら適当に相手をしていただけだって。あんな風に真剣に話すのは辞めてほしいって……だからその事を直接武之内副店長に直接話すかどうかというところまではいったんですが……だから……段取りすれば良かったと思って」
「…………」
俺は一旦間を置いてから、
「柳原副店長のことがなくても離婚はしていたとは思う。だけど引き金になったのはそれだった。……あの日、緋川が俺を待ち伏せしてた日……家に帰って……奥さんと話をした時にはもうそれ以外の方法がお互い思いつかなかったよ」
「そう……ですか……」
「さすがに同じ店で3人いるのはきついけどね」
「そりゃあそうです!! そんな……でも、奥さんはどこか別の店に行くことが決まってますよね。……忘れましたけど」
「うん。北浦のカウンターに行くことが決まってる。カウンターに戻りたいけど、東都では無理だから」
「柳原副店長も、どこかに行った方がいいですよね……と私は思います。柳原副店長と話をした時、同じ副店長の奥さんに…色々言われても、こっちからずけずけ上から物が言えるわけがないとは言ってましたけど、あの状況は言うべきだったと私は思います」
一応敬意は払ってくれていたのかと、柳原に対して若干感傷的になる。
「……まあ、済んだことだよ」
既に全てが終わっている。
運ばれたコーヒーにようやく手をつけた。
緋川も、スプーンを取り、ソフトクリームを食べ始める。
「……美味しい?」
お気に入りのコーヒーフロートだというのにあまりにも無言なので、気を遣って聞いた。
だが緋川はそれには答えず、
「なんたが…私が関係しちゃって、すみません」
言うだけ言った後、後悔の念でも産まれたのか、突然俯いたままそう切り出した。
「……」
再び、間を置いてから答える。
「いや……逆にいてくれて、良かった。この前も、今日も、話をしなかったら、腐ってたよ」
「………」
そうですね、という表情が見てとれたが、さすがに口からは出さなかったようだ。
「……ところで明日は本社だな」
いいタイミングをとったつもりで、明るめの声をだす。
「そうです……。それもそうなんです。なんか、今日花束もらって嬉しかったですけど、車で1人運転してると、なんか寂しかったです」
「そうだなあ…。俺も花束もらったのは、前の会社辞めた時だけど、その時こんなにあっけなく終わるのかと思ったよ」
「そうなんですか」
緋川は表情を元に戻した。
「うん。入社してから10年働いてたからね」
「……ここでは最後までいられそうですか?」
思いもよらない切り込んだ質問に、答えられなくなる。
「男の人は大変ですね、一生働かないといけないから」
緋川なりに気遣ったのか、話題を変えてくれた。
「……緋川は一生働かないの?」
半分笑って聞いてみる。
「うーん……そんなつもり、あんまりないんですけど。でも今から本社だから甘いこと言ってられないしなあ……。婚期逃しそうです」
同じく笑って返すかと思いきや、随分顔は沈んでいる。
「……いい人がいたら、その時結婚すればいいんじゃないの?期に拘らず」
「でもお……。そうですよね……」
何かいいかけて、辞めたのが分かったので。
「何? でもどうしたの」
こういうのが重要なのだ。聞いておくに限る。
「いや………」
言おうとしていることが手に取るように分かっているので、
「まあでも、緋川のドレス姿は一見の価値があるだろうね」
軽く、軽く、しかし表情を見ながら言ってみる。
すると緋川は目を見開き、
「武之内副店長…そういう冗談も言うんですね」
それでいい。
「今、冗談でも言わないと腐ってくから」
状況を思い出したらしい緋川は、再び視線を落としたがすぐに、首を傾げ
「それが冗談だというのもなんかちょっと引っかかりますけど」
お互い、笑いが漏れた。
半分空いたサイドウィンドウから、煙がどんどん外に流れていく。
こちらから絶妙に仕掛けて、ああいうしっかりとした手ごたえを完璧に、はまる感じで手にしたのは本当に久しぶりだった。完全に緋川がこちらのことを心に留めたのが、手に取るように分かった。
まだまだ自分はイケると、確信する。
この離婚を機に、本社と繋がった緋川を手元に置いて、本社の行き先を探りながら、自分の身の振り方を掴んでいれば店長への近道が見える。緋川が話しかけてきた時、瞬時にそこにたどり着いた。
頭の中では、緋川を褒め倒しながら、柳原を落とし入れる残忍な方法が先行していた。
とにかく、離婚をする。その後は本社に連絡をして同時に、柳原を降格、異動。次いで緋川を手中に収める。その際、緋川とはつかず離れずくらいが丁度いい。物にしてしまうと後々面倒だし、長くは続かないということが分かり切っているからだ。
店長になるまでにはまだまだ時間がかかる。それまで、緋川を繋げておく必要がある。
そこまで考え倒し、タバコを灰皿で捻じ曲げる。
最後の一煙を吐き出し、最高に充実した気分を味わいながら、いつもの駐車場に車を停め、マンションへ入る。
玄関まで来た時、ようやく依子との離婚話を詰めることを思い出し、足を止めた。
それくらい、今の武之内の中は、出世の近道を得た喜びで満ち溢れていた。
緋川が店に出勤する最終日のシフト上がりの1時間前、武之内は休みだったが、わざわざ私服でさも、急ぎの仕事を思い出したかのように出勤してきていた。
昨日しておけば難なかった仕事も、当たりさわりがない程度で残してある。
数人に「どうしたんですか?」と声をかけられ、「し忘れたことを思い出して」と答えながら
売り場でちらと雰囲気を確認する。
今日は時間通りに上がれそうだ。
そして一件だけ客に電話を入れ、事を終える。時間にして5分。
だがまだ帰るには早いので、今日来た新しい通達メールなどに目を通し、時間稼ぎをする。
午後18時。緋川が事務室の前を通り抜け、スタッフルームに入ったのを横目で確認してから、帰り支度の準備をする。
今日は花束などを準備されていたので、しばらく出て来るのに時間がかかるかもしれない、と思ったが、そうでもなく。笑顔で数人に見送られながら、今度は裏口に向かっていった。
階段のところで、まだ仕事がある数人とは別れ、ようやく1人になる。
そこでようやく、
「お疲れ」
と後ろから声をかけた。
「ああ!あれ? 今日休みですか?」
日中いなかったが、どうも気がつかなかったようだ。
「うん。し忘れたことを思い出してね」
「へえー…」
言いながら、私服を確認されていることが分かる。紺色の細身のパンツに白シャツ、黒のカーディガンだ。無難で当たり障りない。
「私服、初めて見ました」
そう言った時は、褒めている証拠だ。
「そう……。ああ、今日最後の出社だったんだな」
「ええ、こんなに花束もらって感激です! 生花ってもらったの初めてかも!!嬉しいもんですね!でもどこに飾ろう」
言いながら、花の匂いを嗅いでいる。赤や黄色のバラのような花束を抱え、随分嬉しそうだ。
「あ……そう……」
俺は予定通り、裏口付近で言い出す。
「その……」
裏口を出て、ドアを閉めてから言葉を出した。
「離婚したんだ」
緋川は花束を持ったまま、固まった。
「緋川には迷惑をかけたし、一応、言っておこうと思って」
「………そ……」
「あの日」
言いかけたところで背後のドアが開き、人が出て来る。
「お疲れ様でしたー」
主婦だ。横目で見られる。
「お疲れ様でした」
俺はいつも通り返事を返した。
もう一度緋川を見た。花束に似合わぬ思い詰めた顔をしている。
「その……私も……」
言いかけた所で、もう一度背後のドアが開く。
「お疲れッス」
また横目で見られた。
「……場所、変える?」
予定通り提案する。
「あ……はい……そう……ですね。良ければ」
言いたいことがあるようだ、悪い方向ではない。
「どこにする?」
「あ……その、カフェかなんかで。ファミレスとか行っても多分食べられないし」
腹が減ってないということか。軽く夕食を食べるのもありかと思ったが、そういう気分ではないらしい。
「うん。いいよ。カフェ……」
「あ、あのそこの24時間カフェ。あそこでいいですか? 私あそこ結構好きで」
あまり雰囲気のないところだ。が、まあ、いい。
「うん、場所も分かる。じゃあ、そこで」
「……はい……そこで」
お互い別々に車に乗り、カフェに乗り付ける。
さて、緋川が何を言おうとしているのかは想像がつかず、しかし、武之内は顔の笑みを止められないまま、車内でタバコを一本吸い切る。
それぞれ駐車場に停車させて、中へ入る。
もちろん花束を置いてきた緋川は、席に着くなり、メニューを開いてこれにしようとコーヒーフロートを指差した。
「美味しいの?」
と、聞いてもそんな甘い物は食べる気はないが。
「はい、これが好きなんです。おススメです」
と、言われたが、苦笑して、
「僕はコーヒーでいいよ。ホットで」
「…それだけでいいですか?」
「うん……緋川は他に何か食べる?」
「え、いえ。今はそれだけでいいです」
それぞれ注文すると、すぐに緋川が
「あの、さっき言いかけたことなんですけど」
と、再び真剣味を帯びた表情をして、テーブルに体重をかけるほど乗り出して話し始めた。
「うん」
俺も、テーブルに両肘をかけ、小声で話せるように顔を近づける。
「あの、もう離婚って決まったんですか?」
頭の中をフラットにさせる。
「決まった。離婚届けはあの後すぐに書いて提出した。その翌日、本社にも報告したよ」
「………ああ…………」
緋川は力が抜けたようにソファに背をもたせて、
「遅かったですね……」
と、口に出した。
丁度良いタイミングでコーヒーが運ばれてくる。それを2人して見つめながら、
「遅かったとは、どういうこと?」
意味がどれにもつながらず、顔を顰めた。
「……実は……。その……」
言いながら、もう一度緋川は背を伸ばした。
「実は私、柳原副店長に、奥さんをそそのかすのはやめてほしいって言ったんです。すみません、了承を頂いたわけじゃなかったのに」
「………」
間でまさかそんな風に動いていたとは、思いもかけず無表情になる。
「そしたら、そんなつもりはない、あの時だって俺は書類に目を通しながら適当に相手をしていただけだって。あんな風に真剣に話すのは辞めてほしいって……だからその事を直接武之内副店長に直接話すかどうかというところまではいったんですが……だから……段取りすれば良かったと思って」
「…………」
俺は一旦間を置いてから、
「柳原副店長のことがなくても離婚はしていたとは思う。だけど引き金になったのはそれだった。……あの日、緋川が俺を待ち伏せしてた日……家に帰って……奥さんと話をした時にはもうそれ以外の方法がお互い思いつかなかったよ」
「そう……ですか……」
「さすがに同じ店で3人いるのはきついけどね」
「そりゃあそうです!! そんな……でも、奥さんはどこか別の店に行くことが決まってますよね。……忘れましたけど」
「うん。北浦のカウンターに行くことが決まってる。カウンターに戻りたいけど、東都では無理だから」
「柳原副店長も、どこかに行った方がいいですよね……と私は思います。柳原副店長と話をした時、同じ副店長の奥さんに…色々言われても、こっちからずけずけ上から物が言えるわけがないとは言ってましたけど、あの状況は言うべきだったと私は思います」
一応敬意は払ってくれていたのかと、柳原に対して若干感傷的になる。
「……まあ、済んだことだよ」
既に全てが終わっている。
運ばれたコーヒーにようやく手をつけた。
緋川も、スプーンを取り、ソフトクリームを食べ始める。
「……美味しい?」
お気に入りのコーヒーフロートだというのにあまりにも無言なので、気を遣って聞いた。
だが緋川はそれには答えず、
「なんたが…私が関係しちゃって、すみません」
言うだけ言った後、後悔の念でも産まれたのか、突然俯いたままそう切り出した。
「……」
再び、間を置いてから答える。
「いや……逆にいてくれて、良かった。この前も、今日も、話をしなかったら、腐ってたよ」
「………」
そうですね、という表情が見てとれたが、さすがに口からは出さなかったようだ。
「……ところで明日は本社だな」
いいタイミングをとったつもりで、明るめの声をだす。
「そうです……。それもそうなんです。なんか、今日花束もらって嬉しかったですけど、車で1人運転してると、なんか寂しかったです」
「そうだなあ…。俺も花束もらったのは、前の会社辞めた時だけど、その時こんなにあっけなく終わるのかと思ったよ」
「そうなんですか」
緋川は表情を元に戻した。
「うん。入社してから10年働いてたからね」
「……ここでは最後までいられそうですか?」
思いもよらない切り込んだ質問に、答えられなくなる。
「男の人は大変ですね、一生働かないといけないから」
緋川なりに気遣ったのか、話題を変えてくれた。
「……緋川は一生働かないの?」
半分笑って聞いてみる。
「うーん……そんなつもり、あんまりないんですけど。でも今から本社だから甘いこと言ってられないしなあ……。婚期逃しそうです」
同じく笑って返すかと思いきや、随分顔は沈んでいる。
「……いい人がいたら、その時結婚すればいいんじゃないの?期に拘らず」
「でもお……。そうですよね……」
何かいいかけて、辞めたのが分かったので。
「何? でもどうしたの」
こういうのが重要なのだ。聞いておくに限る。
「いや………」
言おうとしていることが手に取るように分かっているので、
「まあでも、緋川のドレス姿は一見の価値があるだろうね」
軽く、軽く、しかし表情を見ながら言ってみる。
すると緋川は目を見開き、
「武之内副店長…そういう冗談も言うんですね」
それでいい。
「今、冗談でも言わないと腐ってくから」
状況を思い出したらしい緋川は、再び視線を落としたがすぐに、首を傾げ
「それが冗談だというのもなんかちょっと引っかかりますけど」
お互い、笑いが漏れた。