この人だけは絶対に落とせない
 9月に入り、まだ忙しいさなかだが、そんな中でも本社が雇った清掃業者の駐車場の草抜きが徹底されていないことをもう一度確認するために、関は外に出て来ていた。

 朝確認したかったのだが、その時間がなくすでに18時半も過ぎてしまった。

 清掃業者とは、駐車場全体の契約のはずだが、裏などは全く手つかずになっており、これは苦情を言える程度だと確信しながら、念のため、外回りをぐるりと歩く。

 客数が多い時ほど雑草もそれだけの人目につくはずだ。たかが雑草だが、それは東都のブランドを汚すにもってこいの材料な気がして、衛生管理には目を光らせている。

 19時を前にして、少し客数が減っていた。今日の売り上げは少し伸びが悪い。

 原因をもう一度頭からトレースし直す必要がある、と考えながらも、車のドアがバタンと勢いよく閉じた音に気付いて顔を上げた。

「……」

 薄い黄色の軽自動車の隣で、緋川が手を振っている。いつもとは違う、スーツだ。自分もあそこにいたんだということをすぐに思い出したが、すぐにシャットダウンし、笑顔を見せてやる。

 それに気づいた緋川は、小走りで寄って来た。

「……お疲れ様です」

「忘れ物?」

 なんとなくそう思ったので聞いたが、

「……」

 顔が強張った。そうではなさそうだ。ふと、不安が過り、

「え、本社行ったよね?」

 まさか、スーツも着ているし、そんなはずはないが、思わず口から出た。

「はい!もちろん! 行きましたけど……大変で……」

「まあね」

 気持ちが分からないでもなく、少し俯いて笑った。

「その……なんだか、大変で……。あ、関店長。もしよかったら、この後食事でも……相談に乗ってもらいたいなあ、とか」

 生憎、本社の人間とは関係を断つようにしている。

 何故なら、本社と店舗は全く違う世界で構成させており、本社の情報を得ながら店舗を運営しようとすると、余計な邪念が入ってうまくいかなくなる、ということは既に経験済みだ。

「今日は最後までだから。今ここで聞くよ」

 俺は、すぐにトランシーバーにつながっているイヤホンを外した。

 イヤホンをつけている以上、それが気になって実際の会話に集中できないが、イヤホンを外すと今度は売り場から呼ばれていることが全く分からなくなるため、仕事にならないのだが、思い切ってそれを外してやる。

 緋川は、まさか即座にイヤホンを外すなどとは予想も出来なかったようで、目を見開いて驚いてから、顔を見上げてきた。

「あ……その……」

 俯いて、言葉を探している。

「その……」

 本社のことで、店舗に漏らしてはいけない情報はたくさんある。ありすぎて、実際口にできることなど数が知れている。それを承知している関は、ただ黙って言葉探しに付き合った。

「………そうですね……」

 溜息が漏れる。

「店舗と本社って、全然違うんですね」

 言えてもそれ程度だ。

 緋川は元々頭が良い。しかも、要領がよく、人付き合い、礼儀作法、常識の感覚、など他の人間に比べ、筋から外れていない。つまり、人一倍扱いやすく、店舗内でも一番、放っておける存在であり、それでいて信頼できる人間だ。

 しかも先ほどの一言で、本社での生きていき方を既に分かっていることが分かる。

 俺は、微笑しながら、

「全然違うよ」

と簡単に答えた。

 食事か……食事に行って、何を話すつもりだったんだろうと、急に興味が沸いた。

「……今日は何でここに?」

 俯いている斜め横顔を見降ろす。

「……なんかもう、初日から、不安で……」

 微妙に震えていることに気付いた。よく見れば、手を頬に当てている。

「登代理に初日から釘刺された?」

 あえて笑いながら言ってから、気付いて、「あ、登部長」と言い直す。

「……刺されました。と思います」

 若いだけに一歩も引かないキツイところがある。それが登 翔太の良さでもあり、悪さでもあるのだが。まあ、適度に仕事を進めながら、東都でうまく過ごしていた緋川にとって、突然の本社勤務はだいぶ衝撃があったのだろう。

「……本社で自分らしくある、というのは少し難しいかもしれない」

 あまり言い過ぎないよう、注意しながら、言葉を選ぶ。

「………」

「店舗に比べて、やらなきゃいけないことが決まり過ぎている。自分らしさを出すところがない」

 いや、そんことはない。湊は…部長だったころは、随分自分らしかったはずだ。

「いや、そんなことはないか……。やらなきゃいけないことが決まりすぎてはいるけど、慣れれば出てくるよ。だって登部長も充分自分らしいんだから」

 自分で言って自分で納得した。

 緋川は微妙な顔をしている。

 しかし、涙はおさまったのか、溜息を吐いて肩を落とした。

「遅く帰った日も、早く帰った日も、早く寝る。しっかり充電してから出社しなよ」

 俺はあえて笑顔を見せた。

 とっさに緋川は目を逸らす。

「じゃあ、気を付けて帰りなさいね」

 あまり、長居すると緋川の心を揺さぶってしまう。

 それを知っている関は、ぼんやりとする緋川をそのままにさっと自分の仕事の続きをするために、イヤホンを耳に入れ直した。
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