この人だけは絶対に落とせない
市瀬から何も情報が得られなかった桜井は、偶然接客してしまった客を見送りに駐車場まで出てきていた。
カウンターの責任者としては、カウンター内にいることが望ましい。そうは思っているのだが、時として致し方ない時もあるのだ。
あれから関の課題をずっと考えている。そのために、カウンターの女性と随分うちとけられるようになったし、コミュニケーション能力が上がった。
その中で一番面白かった話が、神条紗羅に彼氏がいること、またそれが周知の事実だということだった。逆にいえば、役職者の自分だけ知らなかった話であり、既にはみ出し者だったということになる。
しかし、副部門長の風見もひょっとしたら知らないかもしれないが、年齢、性別、共に知らないで済まされる内容なので、その辺りのことはどうでもいい。
柊の話では、神条の相手はサラリーマンだという。本社の人間、というのが大筋の見方で、そうだろうなと納得した。
本社にはどのくらいの人数がいるかどうかもよくは知らない。その上、どんなイケメンがいようかなど知る由もなく、営業部のメンバーなど、店に用事がある人物以外は知らないのが現状だった。
なので、その相手が誰かというところまで探っても仕方ないし、きっと神条のことだから、イケメンの良い男だ、ということで落ち着いているらしかった。
だとしたら、何故店舗に降りてきたのかということになるが、本社同士の恋愛が社長の逆鱗に触れたという色気じみた見方だった。
つまりは、社長に可愛がられていた神条は、本社で独身男性と良い仲になり、社長に見捨てられた、という筋書きである。しかも社長はまだ40半ばでイケメン風だし、アリがちな雲の上の話なので、ある意味神条を被害者として認識している女性が多い、と感じた。
そこまで考えもしたことがなかった桜井は、皆の推理力に脱帽し、そして更に、自らがのけ者になっていたことを再認識した。
ということは、自分も久川のことを更に推理されて色々言われていたんだと思う。
カウンターの女性だけは、敵に回すものではない、と今はっきりそう感じた。
ふと、顔を上げると、駐車場の自動販売機の隣にあるゴミ箱の蓋が浮き、ゴミが溢れそうになっている。
これは業者の仕事だが、随分見た目が汚かったので、近寄って手を伸ばした。
と、後ろから、
「すんませーん、あのお、これ、ここで買ったもんなんですけどお」
作業着の男性が笑いながら紙袋を出してくる。その後ろには、手をポケットに突っ込んだ同じような作業着の男性が2人、笑いを堪えていた。
その笑顔が不気味だったが、紙袋を差し出してくるので、受け取るしかない。修理か何かか。
桜井は、手をとりあえず払って服で擦ると、返事をしてそれを受けとり、中身を見た。
「………」
黒いローター……だった。
突然のことで紙袋から目が離せないし、身体も動かない。
そういういたずらはある。いたずら電話も受けたことがある。だが、部門長になってからは初めてのことで、処理の仕方が完全に頭から抜けた。
「どうか、しましたか?」
作業着の男性の奥から、救世主の声が聞こえた。
「いやっ…」
男は紙袋を奪い取った。だがその拍子に手元が狂い、中の物がコンクリートの上に音を立てて落ちた。
「………」
「こ、これ、ここで買ったやつだったかなーと思って! 電気製品だし!!」
「バカ!これ店が違うよ!!」
「ま、マジ!? す、すんませーん」
3人は、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、トラックに乗り込んでいく。
「こーら」
見上げた先の、市瀬の苦笑い顔に、心臓が鳴った。
「変なのに引っかかんな」
ぺし、と額を指で弾かれた。
温かい指が、額に触れた。
思わず、額に手をやる。
「市瀬、休憩入りまーす」
トランシーバーに繋がっているマイクに向かって喋る。
その声は、耳からも、イヤホンからも聞こえた。
「あぁ」
市瀬は、財布を取り出したが、ゴミ箱が溢れていることに気付いて蓋を開け、ビニール袋を少し揺らす。
「これをしようとして?」
「……まあ……」
ようやく、声が出た。
「桜井はすごいよねー」
「………」
なんかそれ、前も言われたな……。
ゴミが下にうまく下りたことで、蓋がきちんと閉まるようになる。
市瀬はこちらを見ることもなく、小銭を入れるとブラックの缶コーヒーを買った。
「……コーヒー、好きなんですか?」
「うーん、好きかというと分からないけど、飲むのが癖になってるなあ」
それを好きというのではないのだろうか。
「俺はねえ、桜井を尊敬してるよ」
市瀬はその場でプルタブを開けて、一口飲んだ。
「え、おでこ痛かった?」
言われて初めて、まだ手で押さえていることを知り、「いやっ」と慌てて外す。
「……すごいなあ、見てる世界が違うような気さえする」
「世界?」
褒め言葉なのかどうかも分からない、抽象的なセリフだった。
「うん。カウンターの雰囲気が、今すごく良いのが分かる」
「………」
若干引っかかった。そうではない。
そこに、何か課題があるはずなのだが、それは、市瀬にも見えていない、ということなのだろうか……。
「傍目にはよく見えますか」
桜井は、それでも、言葉を選びながら聞いた。
「え? 実際はそうじゃないの?」
目を見た。だが、市瀬は時として分からない男だということは、前回学んだ。
「いえ」
謎が深まったような気がして、視線が落ちる。
「まあ、ここは職場だからね。誰でも裏はある」
裏……。
「………」
「……おーい、考え込んじゃって。大丈夫?上に上がらなくても」
「あっ!!」
気付けばここで時間をロスしすぎている!
桜井は、ダッシュをかけたが、ハッと気付いて振り返り、
「ゴミ箱、ありがとうございました!」
言うや否や、皆が待つ、激戦区へと自ら身を投じた。
カウンターの責任者としては、カウンター内にいることが望ましい。そうは思っているのだが、時として致し方ない時もあるのだ。
あれから関の課題をずっと考えている。そのために、カウンターの女性と随分うちとけられるようになったし、コミュニケーション能力が上がった。
その中で一番面白かった話が、神条紗羅に彼氏がいること、またそれが周知の事実だということだった。逆にいえば、役職者の自分だけ知らなかった話であり、既にはみ出し者だったということになる。
しかし、副部門長の風見もひょっとしたら知らないかもしれないが、年齢、性別、共に知らないで済まされる内容なので、その辺りのことはどうでもいい。
柊の話では、神条の相手はサラリーマンだという。本社の人間、というのが大筋の見方で、そうだろうなと納得した。
本社にはどのくらいの人数がいるかどうかもよくは知らない。その上、どんなイケメンがいようかなど知る由もなく、営業部のメンバーなど、店に用事がある人物以外は知らないのが現状だった。
なので、その相手が誰かというところまで探っても仕方ないし、きっと神条のことだから、イケメンの良い男だ、ということで落ち着いているらしかった。
だとしたら、何故店舗に降りてきたのかということになるが、本社同士の恋愛が社長の逆鱗に触れたという色気じみた見方だった。
つまりは、社長に可愛がられていた神条は、本社で独身男性と良い仲になり、社長に見捨てられた、という筋書きである。しかも社長はまだ40半ばでイケメン風だし、アリがちな雲の上の話なので、ある意味神条を被害者として認識している女性が多い、と感じた。
そこまで考えもしたことがなかった桜井は、皆の推理力に脱帽し、そして更に、自らがのけ者になっていたことを再認識した。
ということは、自分も久川のことを更に推理されて色々言われていたんだと思う。
カウンターの女性だけは、敵に回すものではない、と今はっきりそう感じた。
ふと、顔を上げると、駐車場の自動販売機の隣にあるゴミ箱の蓋が浮き、ゴミが溢れそうになっている。
これは業者の仕事だが、随分見た目が汚かったので、近寄って手を伸ばした。
と、後ろから、
「すんませーん、あのお、これ、ここで買ったもんなんですけどお」
作業着の男性が笑いながら紙袋を出してくる。その後ろには、手をポケットに突っ込んだ同じような作業着の男性が2人、笑いを堪えていた。
その笑顔が不気味だったが、紙袋を差し出してくるので、受け取るしかない。修理か何かか。
桜井は、手をとりあえず払って服で擦ると、返事をしてそれを受けとり、中身を見た。
「………」
黒いローター……だった。
突然のことで紙袋から目が離せないし、身体も動かない。
そういういたずらはある。いたずら電話も受けたことがある。だが、部門長になってからは初めてのことで、処理の仕方が完全に頭から抜けた。
「どうか、しましたか?」
作業着の男性の奥から、救世主の声が聞こえた。
「いやっ…」
男は紙袋を奪い取った。だがその拍子に手元が狂い、中の物がコンクリートの上に音を立てて落ちた。
「………」
「こ、これ、ここで買ったやつだったかなーと思って! 電気製品だし!!」
「バカ!これ店が違うよ!!」
「ま、マジ!? す、すんませーん」
3人は、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、トラックに乗り込んでいく。
「こーら」
見上げた先の、市瀬の苦笑い顔に、心臓が鳴った。
「変なのに引っかかんな」
ぺし、と額を指で弾かれた。
温かい指が、額に触れた。
思わず、額に手をやる。
「市瀬、休憩入りまーす」
トランシーバーに繋がっているマイクに向かって喋る。
その声は、耳からも、イヤホンからも聞こえた。
「あぁ」
市瀬は、財布を取り出したが、ゴミ箱が溢れていることに気付いて蓋を開け、ビニール袋を少し揺らす。
「これをしようとして?」
「……まあ……」
ようやく、声が出た。
「桜井はすごいよねー」
「………」
なんかそれ、前も言われたな……。
ゴミが下にうまく下りたことで、蓋がきちんと閉まるようになる。
市瀬はこちらを見ることもなく、小銭を入れるとブラックの缶コーヒーを買った。
「……コーヒー、好きなんですか?」
「うーん、好きかというと分からないけど、飲むのが癖になってるなあ」
それを好きというのではないのだろうか。
「俺はねえ、桜井を尊敬してるよ」
市瀬はその場でプルタブを開けて、一口飲んだ。
「え、おでこ痛かった?」
言われて初めて、まだ手で押さえていることを知り、「いやっ」と慌てて外す。
「……すごいなあ、見てる世界が違うような気さえする」
「世界?」
褒め言葉なのかどうかも分からない、抽象的なセリフだった。
「うん。カウンターの雰囲気が、今すごく良いのが分かる」
「………」
若干引っかかった。そうではない。
そこに、何か課題があるはずなのだが、それは、市瀬にも見えていない、ということなのだろうか……。
「傍目にはよく見えますか」
桜井は、それでも、言葉を選びながら聞いた。
「え? 実際はそうじゃないの?」
目を見た。だが、市瀬は時として分からない男だということは、前回学んだ。
「いえ」
謎が深まったような気がして、視線が落ちる。
「まあ、ここは職場だからね。誰でも裏はある」
裏……。
「………」
「……おーい、考え込んじゃって。大丈夫?上に上がらなくても」
「あっ!!」
気付けばここで時間をロスしすぎている!
桜井は、ダッシュをかけたが、ハッと気付いて振り返り、
「ゴミ箱、ありがとうございました!」
言うや否や、皆が待つ、激戦区へと自ら身を投じた。