ビタースウィートメモリー
吉田の声は穏やかだった。
そして、笑っているのにどこか寂しそうだった。
「入社式で見かけてから、青木さんのことがずっと気になっていたんです」
「え、そんなに前から?」
「ええ。どうにかして接点が欲しくて、仲良くなった高橋に仲介を頼んだのですが……遅かったんですね」
何年も悠莉を見ていた吉田は、最近悠莉と大地の関係が少しずつ変わっていることに気づいていたらしい。
「きっと俺しか気づいていなかったでしょうね。ただ憧れるだけではなく、もっと早く行動していれば、青木さんは俺を好きになってくれたかな?」
「……どうでしょうね」
好きになったかどうかは、わからない。
大地を好きになったことすら奇跡なのだ。
恋愛感情に疎く、価値を見出だすのが難しい自分には、無理だったかもしれないと悠莉は思った。
「手厳しいな。でも、そんなところも好きなんです」
振られてもなお好きだと言う彼の心理が理解出来ず、悠莉は無言で成り行きを見守った。
「これで、最後のお願いです」
「なんでしょう」
緊張、懇願、愛しさ、様々な感情を孕みながら、吉田は掠れた声を出した。
「10秒だけ、抱きしめさせてください。最後に至福の思い出を、俺にください」
バグくらいなら、アメリカにいた時に散々色々な人としたのだから抵抗はない。
この場合は性的な意味を含んでいるが、これで吉田の中で区切りがつくならと、悠莉は頷いた。
「いいですよ。でも、10秒だけです」
手を広げるなり、吉田の長い腕が悠莉を包んだ。
距離がゼロになったため、シトラスのコロンがいつもより濃く香る。
優しく抱きしめながら、吉田は悠莉の肩に顔を埋めた。
広い胸はぴったりと悠莉の体にくっつき、やや早い彼の心臓の動きが直に伝わってくる。
約束の10秒が過ぎても、吉田は悠莉から離れようとしない。
何秒かオーバーしてから名残惜しげに体を離し、吉田は軽く頭を下げた。
眼鏡のフレームに水滴がついていたが、悠莉はそれに気づかないふりをした。
「今日一日付き合ってくれてありがとう。それから、素敵な思い出も。この恋は実らなかったけれど、それでも青木さんを好きになれて良かった」
顔を上げた吉田は目尻が少しだけ赤くて、眼鏡が濡れていたが、晴れやかな笑顔だった。
それにつられて、無意識のうちに悠莉も柔らかく笑っていた。
「こちらこそ、好きになってくれてありがとうございました。これからは仲の良い先輩、後輩でいましょう」
「はい。今後ともよろしくお願いいたします」
告白を断って申し訳ないと思ったのは初めてだった。
それと同時に、大地に愛しさが込み上げてきたのも初めてだった。