偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
「ああ、那夕子。どうしてそんなふうにかわいいことを言うんだ。やっぱり一刻も早く宿に行こう。これ以上僕を翻弄しないでくれる?」
「な、なにを言って」
口を開いたわたしを、彼は人差し指を出して止める。
「話は全部後で。ほら、急いで」
そう言うと、さっきよりも早い足取りで尊さんは歩き出した。手を引かれつつ今度は転ばないように、足をしっかり動かしてついていく。
「桜、もう見なくてもいいですか?」
さっき十分見たとは思う。けれど、一応念のため。
しかし思いもよらない答えが返ってきた。
「実は僕、今日はまったく桜を愛でてないんだ。ずっと、那夕子を目で追うのに必死だった。だから……これ以上じらさないでもらえると、ありがたい」
尊さんは足を止めずに前を向いたまま、真剣な顔で言い切った。
恥ずかしい気持ちに頬を染め、それでもうれしさに顔を綻ばせる。
桜吹雪の舞うなか、尊さんの少し赤くなった耳を見ながら、彼の半歩後ろを歩いた。
タクシーに乗って二十分。
おばあ様が手配したという宿もまた、桜が出迎えてくれた。