偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
「尊さんのほうが、忙しいですよね。昨日もずいぶん遅かったみたいですし」
看護師の仕事を長くしているけれど、新しい職場になると覚えることも多い。昨日は結構遅くまで、あれこれと手順を思い返していたのだが、それでも彼はまだ帰ってきていなかった。
「もしかして、僕を待っていてくれた?」
彼が少し身を乗り出し、顔が近付く。嫌じゃないけれど、意識してしまう。
「いえ、仕事の予習、復習をしていただけです」
いまだに慣れずにドキドキする。けれどそれがばれないように平静を装う。
「なあんだ。期待したのにな」
そのちょっと残念そうに見える笑顔の下にあるのは、本音ですか? それとも冗談ですか?
思わず聞きたくなってしまったけれど、ぐっと耐えた。聞いたところでどう返事をしたらいいのか分からないからだ。
そもそも、どうしてそんなことを聞きたいと思ったのかさえ、定かではない。
自分の気持ちなのに、なんだか頭と心がちぐはぐで、困ってしまう。
黙ってしまったわたしを気にする様子もなく、尊さんはコーヒーを一口飲んだ。
「どう? なにか困っていることない? この家のこと以外でもなんでもかまわないよ」
尊さんは、話を聞き出すのが上手いと思う。こうやって話しやすい話題を投げてきて、そして上手い具合に相づちを打ってくれる。気がつけばペラペラと色々話をしていることも多くて、自分でも驚くことしばしば。
きっとビジネスの場面でもこのスキルを遺憾なく発揮しているのだろう。創業家の血筋だとしても、彼自身に人望や手腕がなければ専務の仕事は勤まらないはずだ。
彼の人としての素晴らしさを改めて感じながら、わたしは口を開く。
「おばあ様のことなでんですけど」
「祖母がどうかした?」
尊さんはそれまでの笑顔を引っ込めた。
「あの……おばあ様は本当に痴呆のせいで、わたしのことを尊さんの奥さんだと思っているのでしょうか?」
「それはどういうこと?」
尊さんは一瞬なにかを考えるような仕草を見せた後、しっかりとわたしの方へ体をむき直した。