一筆恋々

【八月九日 手鞠より駒子への手紙】


拝啓
こちらでは風鈴も暑中休暇中なのか、動く気配がありません。
軽井沢はいかがですか?

縁側が特に暑いので、ちよさんが「(つる)を這わせて簾代わりにしましょう」と先月植物を植えていました。
わたしは西洋朝顔が見たかったのですが、ちよさんは「朝顔は食べられない」と言うのです。
「昼顔なら食べられるそうよ」とお願いしたのに、にっこり笑って胡瓜(キュウリ)を植えてしまいました。

みどりいろの簾は確かに目にもやさしく、きいろい花もかわいらしいけれど、休暇が開ける頃には、一家全員河童になっていると思います。

わたしは昨日、久里原家との顔合わせに臨みました。
そこで直に静寂さんにお尋ねしたところ、日記のような手紙でも一向に構わないそうです。
ぜんぶ読んでくださっていたのですが、忙しくて返事を書けなかった、と直接お手紙をいただきました。

返事は無理しなくていい、と自分で言ったので、期待していなかったのですが、いざいただいてみるとうれしくてうれしくて、しばらく開けることもできずに封筒を眺めていたほどです。
しろい簡素な便箋には、うすく葉の透かしが入っていて、まるでやさしい木漏れ日のように見えます。

昨日いただいてから、すでに何度も読み返しました。
寝つけなくて、月の明かりの中でも読みました。
達筆とは違うけれど、おおきくやわらかく、読みやすい字を書く方です。
その文字を指でたどると、ぬくもりが残っているような気さえします。

改めてお手紙を出すお許しを乞うたら、「待ってる」と言ってくださいました。
お手紙にも「楽しく拝読しています」「また手紙をください」とありました。

読みづらくてごめんなさい。
文字が歪んでいるのは、うれしくて動悸が速いせいで、ペン先が震えているからです。

お返事は、少し気持ちを落ち着けてから書きたいと思います。

ところで駒子さん。やはりお悩みがあるのではないですか?
駒子さんが最近元気がないのは気づいていましたが、聞いても「何でもない」と答えるので、立ち入ってよいものか迷っていました。

けれど、今日やはり菜々子さんからお手紙が届いて、「駒子さんは何か気落ちしているの?」と尋ねられました。
あの筆無精な菜々子さんが、わざわざお手紙をくれたのです。
心配しているのはわたしだけではありません。

菜々子さんは縁談の悩みではないか、と言っていました。
菜々子さん自身、不本意な縁談にお困りのようで、今度ゆっくりお話を聞いて参ります。

卒業まで一年と六月となり、わたしたちにとって、進路とも言える縁談は最大の関心事のひとつです。
華族様の結婚ともなれば、煩わしいことも多いかと思います。
わたしではお役に立てることなどほとんどありませんが、お話くらいは聞きますので、いつでも話してくださいね。
敬具


大正九年八月九日
手鞠
駒子様


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