一筆恋々

【八月十日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓
当家では胡瓜の花が見頃を迎えています。
女中のちよさんが、日除のため縁側に胡瓜の蔓を這わせたのです。
緑陰の縁側は見た目にも涼しげで、陽を受けるみどりの葉蔭にきいろい小さなお花がちらちら覗いている様子は、とても可憐です。

けれど、風が吹くたび胡瓜の匂いがします。

わたしは西洋朝顔を植えたかったのですが、ちよさんは食べられない植物には興味がないのです。
せめて昼顔を、とお願いしたのに、育ってみたら胡瓜でした。

静寂さん、河童はお好きですか?
わたしは胡瓜ばかり食べているので、祝言の日、角隠しの下にいる花嫁はきっと河童です。

さて、先日の顔合わせでは、大変失礼いたしました。
最初にお会いしたときやお手紙では、もう少し気軽に話せたはずなのに、『夫』として現れた静寂さんにどう接したらいいのかわからなくなってしまいました。
知らず無礼な態度を取っていたとしても、それは本心ではございません。

一緒に歩きましたお庭もとても素敵だったはずなのに、全然覚えていない有り様なのです。
いまはただ、静寂さんの灰白色の単衣(ひとえ)と、少し低い声だけが思い出されます。

また、お返事をいただきまして、ありがとうございました。
実は、わたしのお手紙はご迷惑だったのではないかと心配していたところだったのです。

駒子さんに「婚約者へのお手紙なら当然恋文でしょう」と言われたのですが、恋文など書いたことございませんし、わたしが目にしたことのある恋文は、あまりに奇妙奇天烈で参考にならないのです。
菜々子さんには「ただの日記では返事のしようがない」とまで言われました。

けれど、はじめて静寂さんにお手紙を書く前に、わたしだったらどんな手紙をもらったらうれしいのか考えたのです。
それで、わたしだったら何でもうれしいと思いました。
学校のお勉強の話でも、食べた夕餉の話でも、近所の猫の話でも、静寂さんが目にしたものや聞いたことであれば、きっと何でもうれしいのです。
そう思って日々の出来事を綴って参りました。

「待ってる」とのお言葉をいただきまして、とてもうれしいのですが、静寂さんが本当はどんなお手紙を好まれるのかわたしは知りません。
静寂さんのことはほとんど何も知らないのです。

ですから、何かございましたら遠慮なくおっしゃってください。
これから少しずつ静寂さんのことを学んで参りたいと思います。
敬白


大正九年八月十日
春日井 手鞠
久里原 静寂様


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