一筆恋々

【八月十八日 手鞠より菜々子への手紙】


拝啓
菜々子さんは毎日ピアノ浸けなのですね。
「嫌だ」「逃げたい」「ショパンの顔なんて見たくない」などと言うけれど、いつも「机に向かうくらいならピアノに向かいたい」と言っている菜々子さんのことです。
充実している姿が目に浮かびます。

わたしはいま、軽井沢にある英子爵の別荘に来ています。
このお手紙も駒子さんと並んで書いています。

こちらはとにかく風が気持ちいいです。
そのせいか、胡瓜の味も違って感じられます。

菜々子さんが心配していた駒子さんの事情については、駒子さん自身のお手紙に詳しいと思いますので、そちらをお読みください。

日常を離れたせいか、普段は見えないものに気づかされています。
こちらには姉と八束さまも来ているのですが、わたしの知っているふたりと全然違って見えるのです。

例えば、会話の中で目を合わせるとしましょう。
わたしと姉が目配せし合ったとしても、特別熱を持つことはなく、視線はさらりと流れていきます。
わたしと八束さまならば、なおさら何かが生まれることはありません。

しかし八束さまと姉は違います。
まるで指と指を絡ませて手を握り合うかのように、みっしりと視線が絡まるのです。
目に見えない何かで、お互いの輪郭、髪、肌の質感までも探り合うように。

息苦しさを覚えて、わたしは目を背けました。
それでいて、目に焼きついたその光景が忘れられないのです。

恋人というのはみんなあのように濃密なものなのでしょうか。
だとしたら、わたしは静寂さんと恋人ではなく、親に決められた仲であることが悲しいです。
瞳の奥に互いの姿を求め合うような、そんな関係になりたいと思うのです。

軽井沢の風に吹かれながら、わたしはどんどん欲深くなっていく自分を感じています。

菜々子さんは、縁談のお相手にそんな想いを持ってはいないのでしょう?
嫌だ嫌だというショパンとは離れられないのでしょう?

でしたらやはり、菜々子さんの幸せはピアノと共にあるのだと思います。
ものでも人でも、そんな風に心を傾けられる何かと出会えることは多くありません。

菜々子さんが望む道に進めるよう、心から応援しています。

お返事は気にせず、ピアノのお稽古に力を注いでくださいませ。
敬具


大正九年八月十八日
春日井 手鞠
滝口 菜々子様


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