私の中におっさん(魔王)がいる。
第十二章・泉の夜に。
 戻った廊下でアニキにお茶に誘われた。でも、部下だと言う男性がやってきて、アニキに用事があるようだったので、私はとっとと退散した。

 部下の男性は少し強持てだった。
 胴の部分にだけ鎧をつけていたから、多分軍人だろう。

 そのまま中央の部屋に戻る気になれなくて、私は西区画からふらっと東区画へ転移した。結さんとはまだ話をしたことがなかったから一度くらいゆっくりと話してみたかったからなんだけど……。

 私は廊下の角からきょろきょろと辺りを見回す。
 雪村くんに見つかって、あの捨てられた子犬みたいな瞳で見られたら、今度こそクロちゃんもいないし、許してしまいそう。

「谷中様?」

 びくっと肩を竦めて振り返ると、訝しい表情で風間さんがこっちを見ていた。

「ふ、風間さん!」
「どうなさったのです?」
「あの、えっと……そのぉ」
「ああ」

 ピンとした様子で呟いて、風間さんは眉尻を下げた。

「申し訳ありません。まだ帰る方法が見つかっておらず……谷中様には大変お寂しい思いをさせてしまっていますよね」
「いいえ! そのことじゃなくて!」

 私は慌てて手を振る。
 そのこともあるっちゃあるけど、今日は催促に来たわけじゃない。だいいち一生懸命かえる方法を探してくれてる人を責めるようなことは出来ないよ。

「ああ……。では」

 新たにピンと来たことがあるみたいで、風間さんは再び申し訳なさそうにする。

「谷中様、お風呂の件、申し訳ありませんでした」

 風間さんは勢いよく頭を下げた。

「そんな、風間さんが謝ることじゃないですよ」
「いいえ。主の不始末は私共の不始末です。ですが、谷中様、ひとつだけ言わせていただきたいのですが、雪村様は覗きや下着泥棒など、そんな卑劣なことは絶対しない方です」
「え?」
「絶対にできません」

 真剣な眼差しで見据えられて、私は思わず頷きかけてしまった。
(イカン、イカン!)
 首を振って、なるべく毅然と風間さんを見る。

「どうして、そんなことわかるんですか?」

 風間さんはなおも真剣な眼差しを向ける。

「谷中様は、覚えておいでですか?」
「なにをですか?」
「雪村様が鼻血を出して倒れたことをです」
「ああ……」

 あったな、そんなこと。

「それがなにか?」
「雪村様は、純情なのです」
「純、情?」

 頬が引きつってしまう――純情って。

「あなたに近づかれただけで、ああです。そんな人が下着など盗んだら即倒するでしょう。ましてや裸体など見れば、即死する勢いで鼻血を撒き散らすに違いありません」

女性に免疫のない人だったら、まさしく純情であったとしたら、それもそうなのかも知れないけど、雪村くんがそうという確証はどこにもない。
 でも、この一ヶ月の彼の言動を見てると少し納得してしまいそうになる。
 私は腕を組んで、わざとしかめっ面を作った。
 風間さんの白い手袋に覆われた手が、私の腕の上にそっと置かれる。

「信じて下さい」

 風間さんはとても真剣で、どこか必死な瞳で私を見つめた。いつもの、柔和な表情はどこにもない。その表情に、私は思ってしまった。
 嘘じゃないって。

「……はい。信じます」

 とうとう根負けしてしまったけど、なんだか重荷が取れたようでほっとする。ずっと誰かを許さずいるのは、意外とつらいことだったんだ。
(根負けした相手が雪村くんじゃなくて風間さんっていうのが、なんとも言えないけど……)
 ふっと笑いが洩れる。風間さんは、安心したのか胸を撫で下ろした。そして、にこっと笑う。

「良かった!」

 その表情を見て、私はなんだか、不思議な感覚を覚えた。
 はじめて、風間さんの笑顔を見たような気がした。
(変なの、風間さんのすてきな笑顔なんてしょっちゅう見てるのに……。その度に萌えをありがとうと感謝してるくらいなのに)
 
「谷中様は、どうして東の区画に?」
「えっ、ああ。結さんに会いに来たんです」
「結に?」

 風間さんは怪訝に眉を顰める。

「一度も話したことがなかったので。多分年も近いと思うし、友達になれたらなって」
「申し訳ありませんが、結は今仕事で出ているんですよ」
「あ、そうなんですか……」

 残念だけど、仕事ならしょうがない。

「明日ならば戻ってきますが、いかがいたしますか?」

 察したのか、風間さんが提案してくれた。
 やさしいなぁ。あいかわらず美しいお顔だし。

「じゃあ、明日にします」
「伝えておきますね。明日は屋敷の中に居させますので、いつでもきて下さい」
「はい」

(楽しみだな!)
 自然と胸の前で手を組むと、それが視界の隅に入って、はたと気づいた。

 さっきは、風間さんの真剣な表情に意識がいって、あんまり帰してなかったけど、さっきまで風間さん私の腕触ってたんだよね!?
 あ~! おしいことしたっ! もっと腕に意識集中させておけば良かった! 全然感触が思い出せないっ!

「どうかなさいました?」
「へ?」

 不意に我に帰ると、風間さんはくすっと小さく笑った。

「お顔がくるくると変わっておいででしたよ。何か残念なことでもございましたか?」

 どことなく意地悪そうな口調に、ボッと火のように頬が熱くなる。

「いえ、あの、そんなことは全然ありません!」
「そうですか」

 風間さんは、にこりと爽やかに笑んだ。
 もっと頬が熱くなりそうになって、私は話を切り替えた。

「あ、あの。雪村くんって、女の人が苦手なんですか?」
「……はい?」

 風間さんは明らかに怪訝な表情で首を傾げた。

「……雪村様は、女性が苦手なわけではありません」
「そうなんですか?」
「ええ」
「でも、女性が苦手だから覗かないとか、鼻血を出すっていう話でしたよね?」

 風間さんは何故か一瞬だけ固まったようになって、ふと真剣な瞳を向けた。その眼差しに、私の胸は自然と高鳴った。

「よく聴いてくださいね」
「……え?」
「貴女が、好きなんです」

 目の前が真っ白になる。
 ドキドキと高鳴る鼓動が、煩いくらいに耳を騒がせた。
 信じられない。

「えっ……あの、えっと」

 言葉がバカみたいに出てこない。
 あの優しくて、かっこよくて、紳士的で、笑顔がステキ過ぎる風間さんが私を好きだなんて――。

「雪村様が」
「……え?」

 今、なんて言った? 

「雪村様は仰いませんでしたが、一目惚れでしょうね。その後の態度を見ていても解ります。谷中様にしか、あのような態度は取られません」

 …………。

「どうかなさいましたか?」
「……えっと、あまりのことに、ちょっと……」
「そうですよね。申し訳ございません。突然そのようなことを言われれば、戸惑わせてしまいますよね。ましてや、主の気持ちを吐露するなど……執事失格でした」

 バッと頭を下げる風間さんのつむじを見下ろす。風間さんって、つむじが二つある。めずらしいなぁ。

「気にしないで下さい。私、すいません。用事があったのを思い出したので、戻りますね」

 なるべく明るく言ったつもりだけど、自分の耳にもその声は棒読みに聞こえた。

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