私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
結は城内にある聖堂にゆりを連れて行った。
聖堂は、白い柱が連立して建ち並び、リブ・ヴォールト式の天井付近には、四人の女神が描かれたステンドグラスがはめ込まれている。功歩は、女神信仰が息づいている国でもあった。
聖堂は基本的にオープンだが、ゆりはなんとなく憚られて、今まで聖堂に入った事がなかった。
辺りを見回してから、前を歩いている結の背中に話しかける。
「久しぶりだね、結。この二週間どこ行ってたの? 任務?」
結は振り返って、静かに首を振った。その表情は、どことなく元気が感じられず、ゆりは少し心配になった。
結は聖堂の奥、祭壇まで行き、階段を上って祭壇に立った。
「良いの?」
「良いんだ」
戸惑ったゆりに頷き返し、結は手を差し伸べた。ゆりはその手を取り、祭壇へ上がると、結と目線が重なった。
ゆりはなんとなく、申し訳ないような気になって、視線を歩いてきた身廊(しんろう)に移した。
祭壇は身廊より三段高いだけだが、なにやら神聖な感じがしてゆりは恐れ多い心地だった。
「今から誓いをたてる」
「え?」
突然の宣言に、ゆりは驚いて結に視線を戻した。
結の瞳は強く、真剣だった。
「戦いと風の女神、シャメルダに誓う。ワタシは今このとき、ウソをつかない――ゆんちゃんも誓え」
「えっと……誓います」
「よし!」
戸惑うゆりを余所に、結は満足げに笑んだ。
功歩のデュマラタルタという宗教では、聖堂の祭壇の前で、自分が特に信ずる神に誓いを立て、それを実行するという因習があった。
「ゆんちゃん。ワタシ、主にフラれた」
「え?」
結は、声音明るく、あっけらかんと言って、寂しげに微笑(わら)った。
零すように驚いたゆりを、結は澄んだ瞳で見返す。
「ゆんちゃんは?」
「え?」
「告白されたんだろ? 主に、なんて言う気だ?」
心臓は一瞬跳ね上がって、冷えたように固まった気がした。
「ど、どうして?」
「主から聞いた」
「私、断るから」
ゆりは内心で焦って、背中にわっと汗が湧いて出たが、声音は強く断言するように言った。しかし、結は真剣で、どこか叱るような瞳でゆりを見据える。
「ゆんちゃん」
結は言い聞かせるような声音を出した。それは、ゆりに対してだったのか、自分に対してだったのかは分からない。
「ここは、祭壇だぞ。神聖な場所だ」
「う、うん。分かってるよ」
「ほんとうか?」
結は窺うような瞳を向けた。そして、僅かに微笑む。
「自分にも、ウソをついたらいけないんだぞ」
「……!」
胸が詰まって、ゆりは涙が零れそうになった。ぐっと堪えようとしたが、結局は堪えられなかった。涙が頬を伝って、ゆりは頬を服の袖で拭った。
「違うの。私、本当に断るつもりでいて……。結に、結を裏切りたくないから。友達だから」
「うん。でも、それって余計なお世話だ」
ゆりは勢い良く顔を上げた。責められるかと思ったが、結の表情は柔らかかった。
「自分の思うようにしてくれ。ワタシのことは考えないで。そんな事をされても、ワタシは嬉しくない。嬉しくないんだ。ゆんちゃん」
同情が欲しいわけじゃない。そんなものは要らない。あるいは、雪村にふられる前だったら、結は「主をふってくれ」と願ったかも知れない。いや、きっと願っただろう。
だが、もはやそんな事をしても、自分に望みはない。ずっと一緒にいたのに、雪村は結を女として見た事は一度もなかったのだから。
その事が判明してしまった今、ゆりが自身の気持ちを偽って雪村をふったとしても、それは結にとって、惨め以外の何者でもないのだ。ましてや結のためだなどと言われては、惨めを通り越して怒りさえ覚えても不思議ではない。
結は静かに階段を下りた。
そして、そのまま何も言わずに歩き出す。
ゆりはその背に追いすがるように声をかけた。
「待って! 結は――」
結は足を止めたが、振り返らなかった。
ゆりは、続く言葉を言わなかった。その言葉を、言ってはいけない気がした。
黙ったゆりを背後に感じ取って、結は再び歩き出した。
一歩、一歩と足を踏み出すたびに、結は早足になった。
そうしなければ、泣いてしまいそうだった。罵詈雑言を吐き出し、恨み言をぶちまけて、当り散らして、全てを壊してしまうかも知れない。
だから結は振り返らない。
ゆりはそんな結の背を見送りながら、頭を下げた。
「ごめん」
ぽつりと呟いた声は、結に届くはずもない。
それでもゆりは、結が聖堂を出るまで頭を下げ続けた。
罪悪感と、贖罪と、感謝故に。