何の取り柄もない田舎の村娘に、その国の神と呼ばれる男は1秒で恋に落ちる【前編】
「ふぁーー!」

京司は大きな口を開け、やる気のない欠伸をしていた。そんな彼は、あの鯉の池のある中庭に来て、池の前の岩に腰かけていた。ここには、滅多に人は寄り付かない。城の護衛の兵士すらもここには居ない。その事に気が付いた京司は、羽を伸ばすため、一人でここに訪れていた。

「いるわけないか…。」

周りを見回した京司が、ポツリと寂しげにつぶやいた。

「おや、玄武、いえ天師教様。」

滅多に人が現れないと踏んでいた京司の思惑は簡単に崩れてしまったが、京司はその懐かしい声の方に、すぐ様振り返った。そこに現れたのは、京司が望んでた人物ではなかったが。

「なんだ。お前か。いいんだぞ、昔のように呼んで。」
「いえ、めっそうもありません。」

京司の視線の先に立っていたは、士導長だった。
士導長と京司は顔見知り。なぜなら士導長は、京司の幼い頃の教育係だった。
そんな士導長は、京司の幼い頃を知っているからこそ、彼を天使教と呼ぶ事にまだ慣れていないようだ。

「…天師教…か…最悪の名前付けられたもんだな。」

京司はそう言って、嫌気のさしたように、鼻で笑った。
彼は天使教になりたくてなったわけではないのは、誰がどう見ても明らかだった。
そして、それは士導長もよくわかっていた。

「…なんで俺の名は、コロコロ変わるんだろうな?」

それを問う京司の視線の先には、士導長は居なかった。京司の瞳にはそこから見える空の青が映っている。

「それは、あなた様が成長なさったから。」
「あー。その模範解答はもう聞き飽きたっつーの!」

京司はわざと声を荒げそう言って、目を伏せた。
わかっている。いくらあがいたって、この現実は変えられない事ぐらい。
彼はもう、士導長から指導を受けていた頃の子供ではない。

「天師教様は、こんな所で何を?」

士導長が話題を変えるように、そんな事を尋ねた。
これ以上京司に、辛い顔をさせたくはなかったからだ。

「…鯉を見に。」

すると京司はとっさにそんな嘘を吐いてみせた。

「ホッホッホ。あなた様のそういう所を、私はお慕い申しております。」

そう言って士導長は柔らかく笑った。昔と何ら変わらないその笑顔で。
彼の事を子供の頃から知っている士導長には、わかっていた。それが京司のとっさについた嘘だった事は。

「まったく、お前は変わんないなー。」

京司もその笑顔に、ホッとした表情を浮かべ、少しだけ笑った。

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