私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~


 * * *


 その頃、花野井は部下と共に花街にいた。
 日はすっかり落ち、月が地に輝きを放っている。
 踊り子の舞にすっかり良い気分で酒を煽っていた花野井と部下は、大いに騒いでいた。

「けんちゃん! 飲みすぎちゃだめよ。月鵬に怒られちゃうわよ!」

 鉄次は喧騒に負けないよう声を張り上げて注意する一方で、良い男はいないのかしら? と、芸者を見回した。

「ああ? 大丈夫だろ」

 花野井は、意にも介さず笑って酒瓶ごと酒を煽る。それを横目で見て、亮は大げさにため息をついた。

「まったく。なんで、俺まで」
「たまには羽目を外せよ、亮!」
「そーよぉ。あなたも飲みなさいよ。ほら!」

 花野井に肩を組まれ、鉄次に酒瓶を口に突っ込まれて酒を流し込まれた亮は、酒瓶を払いのけて叫んだ。

「なにすんだ! カマ!」
「いつまでもむっつりしてるからよ! 楽しみなさいよ!」
「うるさいな! 俺はこんなとこきたくねぇんだよ!」
「一途なのは良い事だけど、いいかげん忘れなさいよ!」

 兄弟同士で睨みあう二人に、花野井は「まあまあ」と割って入るどころか豪快に笑った。
 そこに、すらりとした白い手が伸びてきて、花野井の腕に絡まった。

「兄(あに)さん、お楽しみのところ申し訳ないんでしゃっけど、そろそろあてと、良いことしましょよ?」

 着物をはだけさせた艶やかな女が、上目使いに花野井に熱い視線を送る。花野井はにやりと笑い、女を連れて立ち上がった。

「あ~ら、もうお楽しみに行っちゃうの?」
「まあな」

 鉄次は残念がって嘆く。花野井は口の端を吊り上げるようにして、にやりと笑い、廊下へと続く襖に向って歩き出した。
 その背に、亮が鼻を鳴らして歯軋りを送った。
 花野井はそれに気づかないふりをして、廊下に出る。そこに、庭師の男が慌てた様子で駆けてきた。
 
「お前、どうした?」
「それが、谷中ゆり様が、本殿に連れて行かれまして」
「は!?」
「それがその、どうやら葎様の関係者の方のようで……」

 魔王と知られたか、それとも別の理由なのか、そんな事を考える間もなく、花野井はいの一番で廊下を駆け出した。

「ちょっと!」

 後ろで女が小さく叫んだが、花野井はその声に振り返る事はなかった。
 屋根の上にジャンプして上り、ぐんぐんと速度を上げながら、屋根伝いに城を目指して駆ける。
 あっという間に城の門をも飛び越えて、遥か遠くの階段の途中に着地する。
 門前の番兵は、花野井の存在にすら気づいてはいない。
 そこに、

「カシラ!」

 階段の踊り場から、月鵬が声をかけた。
 花野井は足にある程度の力を込め、軽くジャンプすると、月鵬の前に降り立った。

「私の元にも知らせが」
「ああ」
「カシラ、変な事考えてませんよね? 冷静になって下さい」
 月鵬がそう言ったのには理由がある。
 花野井の目に、明らかに怒りと焦りの色が見られたからだ。

「葎様の関係者だったのなら、危害を加えられる事はまずありません」
「そんなの分からねぇだろ!」
 声を荒げた花野井の胸に、月鵬は手を当てた。
「落ち着いて。良いですね? 落ち着いて」

 言い含めるように、花野井の目を見据える。
 月鵬の目には、強い色が浮かんでいた。真剣で、なおかつ、必死な。
 彼女は過去に一度だけ、今と同じような花野井の瞳を見た事があった。
 その時花野井は、三百人もの一団を皆殺しにして見せた。

 今、そのようなことになれば、どうなるか。
 壁王や皇王の迷惑になるだけでは、済まされない。
 皇王についている花野井が大惨事を起こしたとなれば、政権は別の王子に移り、花野井は死刑を言い渡されるだろう。

 今は山賊ではない。捕まらなければ良いというわけではない。公務に就いている身なのだから。
 月鵬はそれを危惧し、なんとしても花野井を落ち着かせる必要があった。だが、事の外、すぐに花野井は落ち着きを取り戻した。

「ああ、分かった。分かったよ」
 花野井は片手を上げて、俯きながら大きく息を吐き出した。月鵬は軽く胸をなでおろす。
「まずは、志翔殿に会いに行きましょう」
「葎本人じゃなくか?」
「おそらくですが、葎様は関わりのないことでしょう。あの方が、他人を拉致し、監禁するなどありえません。拉致監禁するのなら、人ではなく、ドラゴンでしょう」

 皮肉を含んで言って、月鵬は本殿を見据えた。
 そして、花野井に向き直る。
「良いですか。カシラは一切、言葉を発しないで下さいね。この騒ぎは、魔王が露見してなのか、そうでないのか、見極めなければなりません。ボロを出すわけにはいかない。良いですね?」

 いつもなら「はいはい」とあしらうように告げる花野井だったが、今回ばかりは真剣な面持ちで、ゆっくりと頷いた。

「お前がいてくれて良かったよ」

 花野井は、救われたような気持ちでいたが、その一言に驚き、そして心底救われたのは、他ならぬ月鵬だった。

「当たり前でしょう。私を誰だと思ってるんですか?」

 感涙しそうになるのを抑え、生意気に笑んだ。
 満面の笑みを浮かべる月鵬を、月が照らし出した。

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