悪の華は恋を廻る
「アーロン様、おはようございます! ……ゲッ」

 思わず不満が声に出てしまい、ゾフィは慌てて口元を隠した。

「あら。ごきげんよう。ゾフィ様」

 そこにいたのは、アーロンからグラスを受け取って嬉しそうに微笑むシャルロットだった。
 リンゴ箱で作った即席の椅子に、大きな布を広げてふたり並んで座っている姿を見て、ゾフィは口がヒクヒクと引きつった。

「ごきげんよう……。シャルロット様。今日は一体、どのようなご用件で?」
「あら、ゾフィ様にお伝えしなくてはいけないこと? 今日はきちんと、アーロンお兄様に事前にお伝えして伺ってますのよ?」

 小首をかしげ、可愛らしく微笑むその仕草が、ゾフィにはイラついて仕方がない。
 魔族が思うのもおかしいが、シャルロットはまさに小悪魔だと思った。

「そういえば……今日、ゾフィ様とのお約束があるとは伺ってませんけれども……」
「わ、私は……っ!」
「シャルロット嬢。ゾフィ嬢は、国王陛下のご命令でわが領地でお預かりしている、大切なお方です。ゾフィ嬢には、自分の領地のように過ごしていただきたいと思っております。事前の約束など、必要ないと、始めにお話しております」

 アーロンがゾフィをかばうような発言をし、たちまち形勢が逆転した。
 悔しそうに顔を歪めるシャルロットを見て、ゾフィは胸のすく思いがした。

「ところで、こちらでなにをしていらっしゃるのかしら?」
「こちらで作ったリンゴ酒の試飲を――ゾフィ嬢もいかがですか?」
「まあ、是非いただきたいですわ。馬に乗ってきましたもので、喉が渇いておりますの」

 笑顔でグラスを受け取ると、プッと吹き出すような笑い声が聞こえた。

「ゾフィ様のお国では、貴族のご令嬢がおひとりで馬に乗って遠出なさいますの? 私は、わが家の馬車にアーロンお兄様とふたり、乗ってまいりましたの」

 ゾフィが馬に乗ってやって来たのがはしたないとでも言いたいのだろうか。
 残念ながら、それは大きな間違いだ。

「貴族の女性にとって、乗馬は嗜みでしてよ。では、アーロン様。いただきますわね」

 乾いた喉に、冷たいリンゴ酒がするりと流れこみ、とても気持ちがいい。
 それにしても、シャルロットはやはりルーチェとは違い、気の強い女性のようだ。
 だからといって、魔族にケンカを売るのは愚かというものだろう。

(まぁ、私が魔族って知らないからだけど)

 アーロンを挟んで座る、正反対の表情をしているゾフィとシャルロットを、ダミアンは内心ヒヤヒヤしながら見ていた。
 ダミアンは今日もまた、術で言葉を封じられている。
 魔族が関わっている以上、いくら下っ端とはいえ、気を付けなければいけない。ここに来るまでの間、口うるさく言っていたら、術をかけられてしまった。

(お嬢さんは、ことの深刻さを分かってるのか?)

 モリーに比べ、ゾフィの魔力は絶大だ。いくらこっそり使ったつもりでも、シャルロットがもしゾフィの魔力の残滓をまとって帰宅した時、モリーはゾフィの存在に気が付いてしまうだろう。
 せめて、モリーと対峙するまでは大人しくして欲しかったのだが、嬉しそうにアーロンと話している姿を見ると、それは無理だろう。

(それにしても……)

 ゾフィの笑顔が、なぜかダミアンの胸を苦しくした。
 その理由が、ダミアンにはわからない。なぜ、ゾフィはこんなにも人間のために一生懸命になれるのだろう。魔界では落ちこぼれ魔女と呼ばれ、存在感のない娘だった。有力貴族の娘として、社交界に顔を出すことはあったが、いつもつまらなそうにしていた。話をするのは、兄弟やジョルジュくらい。何にも興味を示さず、ただそこにいるだけの娘。それが今、表情をくるくると変え、楽しそうに話し、よく笑う。

(……良かったじゃないか。ただ生きてるだけの日常から、変われたんだから)

 そう思うくせに、なぜか胸が苦しいのだ。その笑顔が向くのは、あの人間だけだ。それがダミアンには面白くない。

(契約の影響か?)

 ジョルジュに言われたことを思い出し、それを打ち消すかのように頭を振る。

『囚われているのですよ。お前も、私も。あの方にね』

(違う! 俺は……、そんなんじゃねえ!)

 シャルロットは、アーロンにずっと自分の相手をしてもらえるとても思っていたのだろうか。
 試飲のあと、アーロンが果樹園の柵修理に取り掛かったのを見ると、すぐに不満を口にした。

「アーロンお兄様。私、もっとお兄様の領地を案内して欲しいわ」
「ですが、今日はこの作業をすることは伝えたではありませんか」

 アーロンが困ったように応えると、シャルロットは屋敷に戻ると言い出した。
 果樹園に続く農道には、エルランジェ男爵家の馬車が停まっている。ひとりで帰れそうなものだが、シャルロットはそれを拒否した。

「ひとりでは嫌ですわ。お兄様が一緒に戻ってくださらないと」
「……すみません。ゾフィ嬢。屋敷に送り届けた後、すぐに戻ってまいります」
「わかりましたわ。私、アルバンと話をしていますから」

 ホッとした様子で馬車に乗り込むアーロンを見送ると、ゾフィは手を腰にあて、果樹園を見渡した。

「あの……ゾフィ様。リンゴ酒の作り方にでも興味がおありですか?」
「ああ、いいのよ。大丈夫。アルバンも作業があるのでしょう。ああでも言わないと、アーロン様はこちらを気にかけるでしょうからね」
「そんなことまで気を使ってくださるなんて……。では、ワシは作業小屋の方におりますんで、なにかありましたらお声をかけてくだせえ」

 帽子を取り、薄くなった頭を下げると、アルバンは小屋へと向かった。

(これは好都合だわ)

「私、少し酔ったみたいなので、この辺りを散策して風に当たるわね」

 これで、果樹園の付近を歩き回っていても、不審に思われないだろう。
 アーロンがシャルロットと一緒に屋敷に戻ったことは面白くないが、アーロンの目を気にせずに魔術を使う絶好のチャンスだ。
 ゾフィの行動に気が付いたダミアンがブルルルルと鼻を鳴らして抗議しているが、知ったことではない。

「ダミアン。鼻を鳴らすのが上手になったわね」

 ダミアンに一声かけると、ゾフィは手袋を脱ぎ、柵に手をかけた。


 * * *


「無茶するなって! あれだけ! あれだけ言っただろう!」

 今、ゾフィはダミアンの首に身体をもたせかけている。

(こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……)

 ダミアンが話すたびに、その声がダミアンの身体を通じてビンビンと脳に直接響く。

「ダミアン……。うるさい。響く……」

 こう抗議するのがやっとだった。

「なっ……! ああぁ! もう!」

 大きく唸り、やっとダミアンが静かになった。
 こんなにも弱い身体ではなかったはずなのに……人間界に来てからというもの、どうも体調を崩すことが増えた。ダミアンは魔術の使い過ぎだというが、魔界では好きに使っていたため、うまく制御が取れないでいる。
 ダミアンにゆっくりと歩いてもらい、なんとか屋敷にたどり着いたが、降りようと起き上がった時ぐらりと視界が揺れた。

「おいっ! お嬢さん!」

 瞬時に人型に変化したダミアンが、ゾフィを支え、すんでのところで倒れずに済んだ。

「ごめ……ん。大丈夫……ちょっとめまいがね」

 アーロンの目がないのをいいことに、はりきりすぎて、あちこちに手を入れすぎてしまったかもしれない。
 それでも一晩休んだら治るだろうと、立ち上がったゾフィだが、足元がおぼつかない。
 その時、ダミアンの手からゾフィを奪い、抱き上げたのはジョルジュだった。

「私が運びましょう」
「あんた、また……!」
「これはお嬢様のためですよ?」

 ジョルジュを信じきって、ゾフィはそのままぐったりと体を預ける。
 ジョルジュはそれを愛おしそうにきゅっと抱きしめると、ゾフィの室へと向かった。


 * * *


 意気込んだものの、それから数日、シャルロットは姿を見せなかった。
 だがその間、顔を合わせていたアーロンは、ぼんやりとすることが多くなった。
 その分、アーロンの目を盗んでの領地の手入れは順調に進んだが、この状況はゾフィには面白くない。
 腹立ちまぎれにあちこちに手を入れたのがいけなかったのか、魔力を使いすぎてしまい、ゾフィはとうとう歩けなくなってしまった。

 ゆらり、ゆらりと視界が揺れている。
 ゾフィはゆれる意識の中、自分は一体どうしてしまったのだろうと考える。
 最近は特に疲れやすくなった。
 体の中からじんわりと熱が広がってきて、気が付くと全身が重くだるくなっている。
 だが、不思議なことにジョルジュが触れると、そこからだるさが消えていくのだ。
 立っていられずに、座り込んだゾフィの手をとり、ジョルジュは唇をおとす。
 すると、手が自由に動くようになった。

「ご安心ください……。お嬢様は、私が治療いたします」

 唇は手から肩へと移動する。そして、頬へ、額へ。
 徐々に体が軽く、自由になっていく。

「ジョルジュ……」

 自由になった両手で、ゾフィはジョルジュを抱きしめた。

「ジョルジュ、私を助けて……」

 ふと聞こえた言葉に顔を上げると、夢を見ているのか、ゾフィが唇を動かしている。
 漏れる声はとても小さい。
 ゾフィの声を聞き取ろうと唇を離すと、ジョルジュの体に、縋るようにゾフィの腕が巻き付いた。

「……ジョルジュ。助けて……。嫌……嫌だぁ。行っちゃやだ……」

 ゾフィのきつく閉じられた目の端に、うっすらと涙が浮かぶ。
 夢の中で、現在と過去を行き来しているのだろうか。子供がぐずるような、幼い口調になる。
 ゾフィが幼い頃は、ひとりきりで目を覚ました時に周りに誰もいないと、裸足のまま泣きながらジョルジュを探していたものだった。

『ジョルジュ……ジョルジュ、どこぉ? 嫌だ。行かないで。ゾフィを置いて行かないでぇ』

 ボロボロと涙を流しながら、自分を探す姿を見て、胸に愛しさがこみ上げたものだ。昔を思い出し、あの時のように親指でそっと涙を拭きとった。

「お嬢様……」

 ふっとジョルジュの唇に笑みが浮かぶ。

「ええ。私はいつも、あなたのおそばにおります。あなたが……こうして、私に縋り、私なしでは生きられなくなるまで、ずっと、ずっと」

 再び首筋に唇を落とすと、ゾフィは満足げに吐息を漏らした。
 そのまま口を大きく開けて、牙を柔らかな肌に突き刺す。
 心から渇望したゾフィの血が一気にジョルジュの口内を潤し、ジョルジュもまた、満足げに喉を鳴らした。
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