悪の華は恋を廻る
 晩餐会の後、皆で暖炉の前に移動した時、飲み物をもらおうとゾフィがダイニングルームに向かった時だ。
 メイドが、男爵家の御者と話していた場面に遭遇した。顔を寄せ合い談笑するふたりの雰囲気に、思わずシャルロットは身を隠した。
 クスクスと耳障りな笑い声が聞こえる。続いて、御者の特徴的なダミ声が聞こえてきた。

「顔はそっくりなんだけどなぁ。片や未来の伯爵夫人。片やお針子だと」
「運命って酷ね。旦那様は、シャルロット様に式のドレス作りを手伝ってもらいたい、なんて仰っていたわ」
「おいおい。完全に使用人扱いかよ」

 ヒヒヒ、と御者が下品な笑い声をあげた。

「シッ。旦那様はお人よしなのよ。そんな考えじゃないわ。ただ、姉の結婚を祝福する気持ちを、形にするのは麗しい姉妹愛なんですって。本気でそうお考えなのよ」
「おめでたいもんだ」

 頭を強く殴られた気がした。
 自分が、世界中の誰よりも憎んでいるルーチェのドレスを、縫う!?

(冗談じゃない。そんなのは……そんなのは、死んでもごめんだわ!)

 怒りのせいで、顔が熱くなる。が、驚くほど頭は冷静だった。

(死んでも――? 死ぬのは、私じゃなくても、よくない?)

「なぁ、なんか食べ物ないか? 俺、腹が減ってるんだ」
「あら、食事、まだなの?」
「ああ。予定じゃ、もう帰ってる時間だったからな。話が盛り上がってるかなにかで、もう少し待ってくれってよ。おかげで食いっぱぐれちまって」
「そう……。向こうを今片付けるところよ。なにか残っていたら、こっそり分けてあげる」

 メイドがそう言った瞬間、シャルロットの頭の中で悪魔が囁いた。『液体を入れるなら、今だよ』と。
 急いでダイニングルームに戻ると、手つかずのデザートの皿を見つけた。
 震える手で小瓶を取り出すと、残ったケーキの上に数滴、液体を垂らした。
 水色の液体はすぐにケーキに染み込み、分からなくなった。
 小瓶に蓋をし、ポケットに仕舞い込む。心臓がドキドキした。

「あら、シャルロット様。どうなさいました?」

 メイドに声をかけられ、シャルロットはビクッと背中を震わせた。

「喉が……乾いて。なにか飲み物をもらえないかしら?」
「まあ。もうすぐ、皆さまのところに紅茶をお持ちしようと思っていたんですよ。皆さまのところでお待ちいただけますか?」
「そ、そう……。わかったわ」

 メイドは、シャルロットの様子に何の疑問の抱かず、目の前のデザート皿を取り上げた。

「シャルロット様……。もしかして、デザートお召し上がりにならなかったのですか?」

 劇薬が染み込んだケーキを持ちながら、メイドが問いかける。
 シャルロットはプルプルと首を横に振った。

「いいえ! 食べたわ。とても、美味しかった」
「では、お下げしますね」

 声にならず、コクリと頷く。
 ケーキは御者の元に運ばれていくだろう。工房の先輩は、即効性ではないと言っていた。
 御者に、劇薬の効果が現れる時……男爵家の面々が馬車に乗っていたら、どうなるだろう?

(なんでもかんでもルーチェばかりだからよ……!)

 本当に劇薬かだってわからない。効果が現れたとしても、御者が馬車を走らせている時とも限らない。

(男爵家の使用人の身でありながら、私を笑いものにしたからよ……!)

 自分に言い訳をして、シャルロットは暖炉前の談笑の輪に加わった。

「シャルロット、どこに行っていたの? なんだか顔色が悪いわ」

 心配そうにシャルロットを見るルーチェの言葉に、シャルロットは思わず俯いた。

「なんでもないわ。少し、食べすぎてしまったみたい……」

 小さな声でなんとか答えると、ルーチェは「私もよ」と言い、ふふっと笑った。

「太ってしまって、お願いしたドレスが着られなかったらどうしましょう。これからは気をつけなくちゃ」

 幸せそうな笑い声がシャルロットには耳障りでしかなかった。
 自分のやったことの重大さに気づいたのは、翌日、青ざめた顔の義母が御者を含めた五人の事故死を知らせてくれた時だった。
 驚きのあまり、手にしていたカップは床に落ちて粉々になった。
 でも、どこかでやはりそれを望んでいたのかもしれない。
 事故現場は橋で、馬車ごと川に落ちたと聞き、目論見通りに効果が現れたことに妙に興奮した。

「馬が暴れて、救助が遅れたそうよ」
「……なんてこと……」

 母の言葉にそう応えながら、手はそっとポケットに忍び込んだ。
 あの小瓶はまだ持っている。
 いつ、何時疑われるか分からないという恐怖がついて回る今、常に持っていないと不安なのだ。
 シャルロットの前で、常に太陽の光を一心に浴びていたルーチェが、死んだ。


 * * *


 シャルロットは険しい表情のまま、部屋の中を歩き回っている。
 すると、部屋のドアがノックされた。

「誰っ!?」

 鋭い声を上げたシャルロットだったが、ドアの向こうの声を聞いて、表情を一変させた。

「モリーでございます」
「まあ、モリー! 来てくれたのね」

 いそいそと自らドアを開けたシャルロットは、ドアの前に立っていた女性を招き入れる。
 入ってきたのは、シャルロットよりも少し年を重ねた、ひっつめ髪の痩せこけたメイド服の女性だった。

「お嬢様。随分と夜更かしをされていたようですが、お休みになれないのですか?」

 さも心配そうな言葉をかけるが、その口調は感情が見られず、淡々としている。
 だが、そんなことを気にもせず、シャルロットは縋るようにモリーの手を取った。

「ああ、モリー。私、どうにも気持ちが落ち着かないわ」
「私でよければ、お力になりましょう」
「今日、随分久しぶりにアーロンお兄様にお会いしたのよ。お兄様ったら、私を見るなり『ルーチェ』と呼んだわ。私は、いつまでルーチェの亡霊に悩まなければいけないの!?」

 男爵家に越してきてからというもの、領民はシャルロットにルーチェの面影を重ねる。爵位を継いだご挨拶に、義父たちと共に国王陛下に謁見した時もそうだ。そして、今日も――。

「私はシャルロットよ! ルーチェはもういないの!」
「ええ、ええ。ルーチェはもういません。あなたから、全てを奪ったあの女は、もういないのです」
「それなのに、どうして皆、私を見ないの?」
「あなたではなく、誰を見ているんです?」
「皆、ルーチェを見ているわ。もういないのに! まだ私から奪うつもりなのね!」

 怒りに目を吊り上げるシャルロットを見て、モリーの顔に初めて表情が浮かんだ。
 ニタリと嬉しそうに笑い、更に問う。

「その者たちが、憎いですか?」
「にく、い……憎いわ」

 シャルロットと向かい合うモリーの影が、異様な形に変化した。
 背中は丸く盛り上がり、痩せた老木のように節が曲がった足の先には、獣のような鋭い爪が伸びている。

「憎い……憎い! 憎い!! 私を選ばない人間は、嫌い!!」

 シャルロットの口調は徐々に大きく、激しくなる。
 モリーはそれを大きな目を更に見開いて見ている。頬は紅潮し、息遣いは荒い。すると、異形の影がモリーを覆う程の大きさになり、大きな口を開けた。そのまま、本体のモリーを飛び越え、シャルロットを頭からすっぽりと飲み込んでしまった。シャルロットの全身が、黒い影に包まれる。

『ウマイ……キヒヒ……ウマイ……』

 大きな影は、美味しそうにモゴモゴを口を動かしている。
 モリーは、ただそれをぼんやりと見ていた。
 やがて、影はシュルルと小さくしぼみ、モリーの影に戻る。
 現れたシャルロットは、毒気が抜けたような、キョトンとした顔をしていた。

「モリー。私、もう休もうかしら」
「ええ。お嬢様。それがよろしいかと思います」

 すっかり大人しくなったシャルロットの着替えを手伝い、モリーが部屋を出ようとした時だった。
 モリーが大きな目をギョロリと動かし、窓を見る。
 窓にはカーテンが引かれていたが、ほんの少し開いており、ゆらゆらと揺れていた。

「モリー? どうしたの?」
「……なにか、気配が……」

 窓の外を確認するが、そこに生き物の気配はなく、のどかな田園風景が広がっているだけだった。

「嫌だわ、モリー。脅かさないで。ここは三階よ?」
「そうですね……。では、お嬢様。おやすみなさいませ」
「おやすみ。モリー……。私の味方はあなただけよ。小さな頃から……私の話を……ちゃんと聞いてくれたのは、あなただけ……」

 横になると、疲れがどっと出たのか、たちまちシャルロットは夢の世界へと導かれたようだ。
 しっかりとカーテンを閉じると、モリーはシャルロットが眠ったのを確認し、部屋から出て行った。


 * * *

「分かったことは、シャルロットという娘はエルランジェ男爵の娘で、小さな頃弟夫婦に養子にだされたということ。そして、自分が手にするはずだったものに、執着しているということだ」
「……つまり、それってアーロンも含まれているっていうこと?」

 ゾフィの問いに、ダミアンは肩をすくめる。
 それは、果樹園でのふたりの会話からも容易にわかることだった。
 そんなことを聞くために、ダミアンを待っていたわけではない。ゾフィには少々拍子抜けだった。

「さぁな。シャルロットは部屋でひとりになるなり、なぜ自分を選ばないのか。そんな人間は嫌いだとイライラしたように声に出していた。そこから、亡くした本当の家族への悲しみは感じられなかった」
「手にするはずだったもの……ね。男爵の弟夫婦……現男爵夫妻はどう?」
「ふたりは特に何もないな。父親の方は兄一家の死を心から悲しんでいるし、母親は急激な環境の変化にうろたえながらも、家族を支えようと奮闘している」
「そう……」
「あと……」
「なに?」

 珍しく言葉を濁らせるダミアンを不思議に思い問い返すと、意外な言葉が出た。

「この件には、魔族が関わっている」
「魔族?」

 その言葉に、さすがのゾフィも眉をひそめる。
 そして、珍しくジョルジュもダミアンに話の続きを促した。

「ああ。シャルロットがイライラと部屋を歩き回っていると、ひとりのメイドがやって来た。そのメイドの顔を見るなり、シャルロットの態度は一変した」
「そのメイドが? 誰なの?」
「モリーと呼ばれていた」
「モリーですって!?」

 驚いたゾフィが大きな声を上げた。

「知ってるのか?」
「知らないけど」

 がっくりとダミアンがうなだれた。

「なんでモリーで反応したんだよ!」
「どうやってメイドになって、男爵家に入り込んだのかしらと思って」
「そのモリーとやらはシャルロットにどんな影響を及ぼしているのですか?」

 ジョルジュが冷静に尋ねた。
 ダミアンは長い指で顎をさすり、言葉を選びながら話し出した。見聞きしたことを、分かりやすく説明するのはあまり得意ではない。

「話をしている途中、そのメイドの影が巨大化して、シャルロットの身体を飲み込んだ。で、少しして解放されたシャルロットは、イライラしてたのもどこへやら。ポカンとしてた」
「……よく、わからないわ。ジョルジュはどう?」
「説明が的を得ないので、なんとも言えませんが……おそらく、魔族としては末端の雑魚ですね」
「そうなのか? シャルロットをまるごと飲み込むデカさだぞ? それに、俺の気配も感じ取ってた」

 驚くダミアンを、ジョルジュは鼻で笑い、軽くあしらった。

「それはお前が油断していたんでしょう。大体、自分の姿を持たない時点で、魔族としては下っ端です。それに、モリーというメイドはシャルロットが幼い頃から仕えていたのでしょう? なのに、年はシャルロットとさほど変わらないと言いましたね?」
「ああ……。あっ! モリーは、年を取っていない?」
「きっと、モリーの身体を利用しているのでしょう。その影響で、モリーの身体は年を取らない」
「ど、どういうことだ? 下っ端の魔族がなぜあんなに大きくなった?」
「実際に見たおまえに、なぜ私が説明をしなければならないのですか」

 ジョルジュは心底嫌そうに顔を歪めたが、結局、ゾフィにも懇願され、仕方なく持論を語った。

「下っ端の魔族の中には、人間界を拠点にしている者もおります。魔族とはいえ、その者たちは名前も実体も持たない存在。魔界にいては奴隷のように扱われるだけですからね。皮肉な話ですが、人間界の方が過ごしやすいのですよ。おそらく、異界の門が開いた時に紛れ込んで逃げ出すのでしょう。そして、人間界で人間や動物に寄生して生きているのです。その中には……今回のように、少々やりすぎてしまう者もおります」

 その魔族が、モリーに寄生したのがいつかはわからない。
 だが巨大化したのは、人間の悪意を貪り味をしめた魔族が、己の欲望を止められなくなってしまったからだとジョルジュは話した。

「そういった魔族は、人の悪意を主食とするのです。ですから、強烈な悪意を持つ者がそばにいると、それを次々と喰らって、大きくなってしまうのですよ。それだけ、シャルロットという女は悪意に満ちていたのでしょう。まぁ、早々に処理した方がよいでしょうね」
「なぜ? 同じ魔族。しかも下っ端なら放っておいたら?」

 ゾフィは不思議そうに尋ねるが、ジョルジュは器用に片眉だけを上げた。

「よろしいのですか? 悪意は悪意を呼ぶ。そこまで巨大化しているのなら、己の欲望を抑えられず、考えなしに新たな悪意を招くでしょう。結果、大きな事件になるでしょうね。死者が多数出た場合、異界の門からたくさんの高位魔族がやってきますよ。そうなると、お嬢様が見つかる可能性も高まります。私はそれでも構わないのですが――」
「ちょ、ちょっと待って! それは困る! 困るわ! よし、やっつけましょう。同族だろうが、下っ端のか弱い存在だろうが、そんなこと言ってられないわ!」

 グッと拳を握り立ち上がったゾフィを見て、ダミアンはやれやれ、と肩をすくめた。

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