悪の華は恋を廻る
 手は青白く、小刻みに震えている。震えを止めようとしても、力が入らない。

(どうしたのかしら……)

 しゃがみこむゾフィの傍らで、アルバンはオロオロとするばかりだ。

「で、ですが、ゾフィ様。お顔が真っ青です……」

 助け起こそうとするも、ゾフィに触れていいか分からず、結局アルバンはゾフィの周りをウロウロするだけだった。

(止めてくれないかしら……目がまわっちゃう)

 ゾフィはなんとか顔に笑みを張り付けた。

「……大丈夫ですわ。少し、風に当たりすぎてしまったのでしょう」

 ようやく身を起こすが、足もガクガクと力が入らない。木を支えにしなければ、立っていられない程だ。
 そこに小屋から出てきたアーロンが、こちらの異変に気付いたようで駆け寄ってくる。

「ゾフィ嬢。どうかしましたか? 顔色が優れないようですが……」

 アーロンが、心配そうにゾフィの顔を覗き込んだ。

「ええ……。少し疲れただけですわ」
「申し訳ありません。あなたは療養のためにこの地にいらっしゃるのに……。無理をさせてしまいましたね。私の馬車で送りましょう」
「まあ。よろしいの?」

 伯爵家の馬車はとても小さく、簡素なもので、乗り心地は期待できない。だが、アーロンと一緒ならば喜んで送ってもらうつもりだった。更に距離を縮める絶好の機会だと喜んだゾフィだったが、それは残念ながら叶わなかった。

「それには及びませんよ」
「ジョ、ジョルジュ……」

 いつの間にか小屋の外には立派な馬車が用意されており、大きく素晴らしい毛並みの芦毛の馬が繋がれている。

「これはこれは。さすが侯爵家ですね。立派な馬車と馬をお持ちだ」
「いえ、そんな……おほほほ」

 アーロンの感嘆の声に、ゾフィが力なく笑う。
 いいところを邪魔されて、ゾフィはジョルジュを軽く睨み付けるが、ジョルジュは涼しい顔をしていた。

(それにしてもいつの間に馬車なんて……あら?)

 ゾフィが違和感を感じてじっと馬を見つめると、ツイと視線を逸らされた。

(あらら?)

「もしかして、ダミアン?」

 そっとゾフィが囁きかけると、馬はがっくりと項垂れる。
 獣人族なのだから、馬に姿を変えるくらい朝飯前だろうけれど……。

(この反応……ジョルジュにやられたわね)

 どうやら自らの意思ではなさそうだ。今回もまた、ジョルジュにまんまとしてやられたということだろう。
 可哀想に……とは思うものの、体調が優れないのは本当だ。アーロンに送ってもらうという夢が叶わなかったのは残念だが、ジョルジュに手伝ってもらい、ゾフィは馬車に乗り込んだ。



「お嬢様。ご気分はいかがですか?」

 屋敷に戻り、ジョルジュが淹れた紅茶を飲むと、だいぶめまいも治まっていた。
 それでも、カップを置く手が少し震え、ソーサーに当たりカチカチと耳障りな音をたてる。
 ゾフィは大きく息を吐いた。

「ええ……大丈夫よ。きっと、まだ人間界に慣れていないのね」

 違和感はあるが、その原因がよく分からない。
 環境が変わったことくらいしか、ゾフィには思い当たるものがない。

「よ、横になった方がいいんじゃないか」

 ダミアンが心配そうに覗き込む。

「いいえ、大丈夫」
「でも、顔色がよくない」
「顔色がいい魔族なんて、いるかしら」
「でも、なんかおかしいって!」

 『なんか』ってなんだ。せめて理由は明確にして欲しいものだ。ダミアンの言葉には説得力がない。ゾフィは呆れてため息をついた。
 使い魔の契約を結んでからというもの、こんなふうにダミアンは以前にも増して、ゾフィの周りをうろつくようになった。
 狼の姿ではガウガウとうるさくて、使い魔にすることを考えついたわけだが、一層まとわるつくようになるなど、ゾフィも想定外だった。
 それを狼の時とは違い、ゾフィの頭ひとつ以上高いところから見下ろすようにうろつくのだから、圧迫感がひどい。治まった眩暈がぶり返しそうになり、ゾフィは思わずこめかみを押さえた。

「……ダミアン。お願いだから、落ち着いてちょうだい。眩暈がしそう」
「眩暈がするのか!? やっぱり横になっていた方がいいぞ!」

 ぐっと顔を近づけられ、思わずのけぞる。それを見たダミアンは慌ててゾフィを抱き上げようとした。

「黙りなさい。この駄犬が」
「うぐっ」

 息がかかるほど近くにいたダミアンが、ジョルジュの手によって一瞬のうちに遠ざけられた。
 首根っこを掴まれ思い切り後ろに引っ張られたダミアンは、うずくまり喉を押さえてゴホゴホと咳き込んでいる。

(まったく……。狼でも人になっても、近づいても離れてもうるさいわ……)

「駄犬じゃねえ!」
「おや、失礼。では駄狼。お前がお嬢様にまとわりついているから、目が回りそうだとお嬢様は申しているのです。使い魔になったからには、きちんとお役に立ちなさい」
「俺はっ――!」
「なんです?」

 ジョルジュの冷たい視線に、ダミアンは出かけた言葉を飲み込む。

「俺は……ただ、心配して……」
「ほう? ならば、寝室を暖めるための暖炉の薪を用意するとか、湯浴みのための薪を用意するとか、温かい食事のための薪を用意するとか、色々あるでしょう」
「そ、そうか! 行ってくる! 待ってろ!!」

 ダミアンは慌てて立ち上がると、バタバタと慌ただしく部屋を出て行く。その後ろ姿は人型にも関わらず、ブンブンと大きく振られる尻尾が見えた気がした。

「森の奥に手頃な木がいくつもありますよ」
「わかった!」

 応える声は既に遠い。きっと、ジョルジュの言葉通りに森の奥へと向かったのだろう。

「呆れた……。ジョルジュのことだから、薪なんて切らしていないでしょう?」
「勿論です。私も切らしているとは申しておりませんよ?」

 確かにそうだが、あんなに薪を連呼されると、使命感に駆られてしまうのも仕方がないだろう。

「まぁ、あって困るものではありませんからね。力仕事で少々疲れさせるくらいで、あの駄犬はちょうどいいでしょう」

(また犬に戻ってる……)

 これをダミアンが聞いたら起こるだろうなと、ゾフィは思ったが、あえて口には出さなかった。

「ダミアンをこっちに連れてくること、意外と簡単に決断したから不思議に思っていたけど、ダミアンは火を操るからでしょう」

 獣人族のダミアンは、火を使う術が得意だ。対して吸血鬼であるジョルジュは光に弱い性質なこともあり、火を使う術は苦手だった。きっとジョルジュは、普段からこうしてダミアンをうまく使っているに違いない。

「それで? 私になにか話があるんでしょ? ダミアンを遠ざけてまで」
「さすがお嬢様でございますね」

 あれでわからないわけがない。わざわざ遠い『森の奥』とまで言ったのだ。気づかないダミアンがどうかしている。

(やっぱり駄犬なのかしら……)

 そんなことをぼんやりと考えていると、ジョルジュが紅茶のお代わりを用意してくれた。
 この紅茶というものは、とても気持ちを落ち着かせてくれる。
 アーロンの家でもメイドが淹れてくれるが、その時々で色や香りが違う。花の香りや果物の香りがするものもあれば、後味がさっぱりしたものも深い味わいがあるものもあった。
 魔界では味わったこともないものだったが、ゾフィは紅茶がとても気に入っていた。
 今日の紅茶は薔薇の香りがする。深く香りを吸い込むと、ぼんやりとしていた意識が少しハッキリしてきた。
 ジョルジュもそれが分かったのか、静かに話し出した。

「ブランシャール伯爵家について、わかったことがございますが、お聞きになりますか?」
「ええ。勿論」

 アーロンや、屋敷の様子から、伯爵家が危機に陥っていると判断したゾフィは、詳しく調べるようにとジョルジュに申しつけていたのだ。

「結論から申しあげますと、ブランシャール伯爵家は、没落寸前と言えるでしょう。当主の伯爵が領地に戻らないのも、こちらを息子にまかせて、自身は王都での政務に励んでいるからのようです」
「……そう」

 どうやら、思った以上にアーロンは危機的状況にあるようだ。
 そしてそれは、婚約者だったルーチェ・エルランジェ男爵令嬢が大きく関わっているようだ。

「やっぱり……」
「やっぱり?」

 ジョルジュが器用に片眉だけを上げる。
 しまった、とゾフィが思った時はもう遅かった。

「お嬢様……。また、魔術をお使いになったのですね?」
「す、少しよ。本当に少しだけ。本当だったら。そんなことよりもジョルジュ。先を話してちょうだい。いくら遠くに行かせたとはいえ、ダミアンが戻ってきてしまうかもしれないわよ?」
「仕方がありませんね……。では、お説教は後にしましょうか」

 どうやら、ジョルジュの追及からは逃れられないようだ。

「わ、分かったわよ。いいからその先を話して」

 ジョルジュの話はこうだった。
 領地が隣り合ったエルランジェ男爵家は、以前からブランシャール伯爵家と親しい付き合いがあった。エルランジェ男爵家はとても貧しく、ブランシャール伯爵家が公私共に面倒を見ていた。
 そんな中、年が近いルーチェとアーロンは自然と恋仲となった。
 以前から家族ぐるみの付き合いがあった両家の当主も縁談には乗り気で、すぐに国王の許しを得て、縁談話は順調に進んだ。
 親戚関係になるのだからと、ブランシャール伯爵家は領地の整備や特産品の開発など、今まで以上に援助を惜しまなかった。
 だが、ある日エルランジェ男爵家の馬車が橋で事故に遭い、ルーチェの父と母、そして次期当主の兄とルーチェの四人全員が亡くなってしまったのだ。
 結婚話は当然、無くなった。だが、問題はそれだけではなかった。
 エルランジェ男爵家は突然の当主交代となり、新しい当主は縁談話も金銭の援助も知らないと言う。
 ブランシャール伯爵家は、結納金や開発のための援助金などの返還を、諦めるしかなかった。
 結果、残ったのはギリギリの生活と、開発にかかった費用の全額負担という重い借金だった。

(それでロクにほったて小屋……もとい、厩舎も直せないわけね……)

 人の好いブランシャール伯爵家の面々を慕う領民は多かったが、その後の生活は厳しかった。
 仕事を求めて領地を去る者も多く、人手不足により手入れの行き届かない領地は荒れ、益々経済状態は苦しくなるばかりだった。

「……私、アーロンを助けたいわ」

 ゾフィはアーロンが泣いたり、苦労しているところしか見ていない。笑顔を浮かべていても、アーロンはどこか寂しげだった。彼が心から笑った顔が見たい。その手助けをすれば、あの時に見たような真っすぐな感情を、いつか自分に向けてくれるかもしれない。そう考えた。

「そうですか……。ですが、ほどほどになさいませ」
「……反対、しないの?」
「私が、ですか? いいえ。私はお嬢様の望むものは、なんでも協力いたしますよ」
「ありがとう。ジョルジュ」

 思わぬジョルジュの言葉に、ゾフィはふっと笑みがこぼれる。ジョルジュはそんなゾフィのために、温かい紅茶を淹れなおした。

 * * *

 ゾフィは疲れていた。
 体が重く、全身がだるい。
 やっと屋敷に辿りつき、ポーチに座り込むと、慌ただしくドアが開いた。

「お嬢さん!」
「ダミ……アン……」
「おい! 大丈夫か!」

 まったく。人型になっているというのに、相変わらずガウガウうるさい。そう言おうとしたが、口がうまく動かない。

(あれ? おかしいわ……)

 目の前のダミアンの姿が段々と霞んでいき、ゾフィはそのまま気を失ってしまった。
 ダミアンは、自分に縋りつくように手を伸ばしたまま意識を失ったゾフィを見て、心臓が縮む思いだった。
 急いで抱き上げると、ゾフィの体は燃えるように熱かった。

「くそっ! なんだよこれは!」

 ダミアンは慌ててゾフィの寝室へと向かう。
 乱暴な足取りでドカドカと二階へ上がると、いつの間に現れたのか、ジョルジュが扉の前に立っていた。

「お嬢さんが……お嬢さんが大変だ」
「わかっています」
「早く、治癒師を!」

 腕の中でゾフィは苦し気な吐息を漏らす。それを肌で感じ、ダミアンはゾフィを抱く手に力を込めた。

「落ち着きなさい。人間の治癒師に診せてどうするというのです」
「だが……!」
「私に任せなさい」

 主人の危機だというのに、ジョルジュはその美しい顔に妖しい笑みを浮かべた。
 まるで、こうなることが分かっていたかのように……。
 寝室のベッドにゆっくりと下ろされたゾフィは、額にびっしりと汗を浮かべていた。
 勝気な顔は苦痛に歪められ、小さな赤い唇からは言葉にならない声が漏れる。

「本当に大丈夫なのか? こんなに、苦しそうなのに」
「ええ。私に任せなさい」

 ジョルジュは同じ言葉を繰り返すと、ダミアンに退室を促した。

「お嬢様……苦しいですか?」

 ジョルジュの細く長い指が、汗で張り付いた赤い髪をゾフィの額からそっと払いのける。
 そのままジョルジュは指で額の汗を拭う。そして、自身の指についたゾフィの汗を舐めとった。
 続いて、白く柔らかな頬を撫でる。
 熱でほてった肌に、ジョルジュの冷たい指が心地いい。その感覚に、ゾフィはピクリと反応を見せる。だが、起きることはなく、何度か瞼がヒクヒクと動いただけだった。
 ジョルジュは喉の奥でクツリと笑うと、指を更に下に移動させた。
 ふっくらとした唇……形のいい顎……細く、長い首筋……。
一番上までピッシリと留められたドレスの留め金を、ジョルジュは片手で器用にひとつ、またひとつと外していく。
 ほんのり浮き出た華奢な鎖骨が見えるほどドレスの前をくつろげると、ジョルジュはそこに顔を近づけた。
 ジョルジュの息遣いがゾフィの肌に触れるほど近づき、ジョルジュは思い切り息を吸った。
 肌から直に感じる香りは甘く、温かく、ジョルジュは頭が痺れるような感覚を味わった。

「お嬢様……苦しみから、解放して差し上げます。さあ、私に身を委ねてくださいませ……」

 そう囁くと、ジョルジュは鎖骨の少し上に唇を這わせた。
 そうして柔らかな肌の感触を楽しんだ後、ジョルジュは口を大きく開け、鋭い牙をその白く柔らかな肌に突き刺した。
 プツリ、と柔い肌を突き抜ける感覚がした直後、先ほどの比ではない程の芳醇な香りと共に、ジョルジュを惹きつけて離さないゾフィの魔力が赤い血と共に口内に押し寄せる。
 ゴクリ。――ゴクリ。
 ジョルジュはそれを夢中になって飲み込んだ。
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