【極上旦那様シリーズ】きみを独り占めしたい~俺様エリートとかりそめ新婚生活~
徳利とぐい飲みを、彼の手から少し離れたところに置く。彼は不承不承といった表情で、水を飲みはじめた。
「マンションを出たことは、お母さんには?」
「まだです。急に言うのも押しつけがましいと思って。そろそろ報告に行こうと思っていますが、母のことだから、連絡するタイミングとか、ちょっとした気配で、もうなにか気づいているかもしれませんね」
一臣さんは目を伏せ気味にして、「そうか」と微笑んだ。
「ゆうべ、玄関にクモがいたんだ。このくらいの」
「えっ」
彼が指で示したサイズが、ゴルフボールくらいの大きさだったので、私はひっと身を縮めた。虫は得意じゃない。
「きみがいたら、つかまえて見せてやるのになと思った」
「やめてください。悲鳴をあげて逃げ回りますよ」
「なおさら見せたくなるな」
人の悪い一臣さんが、声をたてて笑う。私はあの家で、大騒ぎしながら追いかけっこする様子を想像した。たしかに笑える。
彼がふと、笑みをやわらげた。
「きみとあの家で過ごした時間は、そう多くはなかったし、フルで休めた休日も数えるほどだ。買い物や食事に出たくらいで、どこかへ出かけるというレベルの外出もしなかった」
「そうですね……」
「それでも、帰ればきみがいた」
当時を懐かしむような口ぶりに、そんなに前のことではないですよと言いたくなる。だけど気持ちもわかる。もう、過去だ。
「お待たせいたしました」
そこへ、湯気を吹いている小さな土鍋が運ばれてきた。一臣さんが問いかけるような目を私に向ける。
「あの、ちょうど席を立ってらしたときに、頼んでおいたんです。温かいお豆腐です。最初から、あまりお元気ではなさそうだなと思っていたので……」
なぜか言い訳がましい口調になってしまった。
せっかくつれてきてもらったのに、あからさまに気づかうのも、彼に失礼かと思ったのだ。
一臣さんは私と土鍋に視線を行き来させて、ふっと笑った。
「ありがとう」
「このお塩が合うらしいです」
「聞いただけでおいしそうだ」
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