とろけるような口づけは、今宵も私の濡れた髪に落として。
後悔しない日は無かった、と母は言う。その顔は笑っていなかった。

自信にあふれ、人に謝るところをみたことがない。傲慢なほど綺麗な人。

今も私に悪びれもせず、見透かしたように笑っていたのに。

「でもたった一人の娘だもの。やっぱりあの時は、傷つけるものすべてから逃がしてやりたかった。だから後悔はしてるけど、あの時の行動を恥じるつもりはない」

「……私、今から一矢くんと婚姻届けを出しに行くの」

最後まで謝らない母が、母らしい。騙されたときは憎いとも思ったけど、一貫して芯のある強い意志があるのだけは認める。

だから私も感謝も恨みを言うのも止めた。

「結納から婚姻届を出すまで間が空きすぎでしょ。もし祖父や父とか親戚が気づいたら、うまく言っておいて。それでチャラでいいよ」

「チャラ、ねえ。分かった。誰にも口出しさせないわ」

 ちょうど駐車場が満車になり、病院も忙しそうだったので、バスの時間を確認した。

母は私に背を向け桜の木にもたれた。そちらは診察室の方角なのに、見えないかもしれないけど向こうに顔を向けることに少し違和感を感じた。

「恋バナは、結婚したから無理かもだけど、旦那のノロケなら偶には聞いてよ」

じゃあ行くねって私が背中に声をかけると、肩が大きく震えていた。

「……ありがとう、お母さん」

母の行動がいつも正解だとは思わないし、私にはどうすれば良かったのかもわからない。

でも過去のことも騙されたことも、恨んでないし怒ってもないよ。

プライドが高い母が私には見られたくなさそうだったので、そのままバス停へ向かう。

一矢くんのとびっきりの惚気で、いつか困らせてやろう。

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