優しい彼と愛なき結婚
隼人くんがクレームをつけられた取引先は個人商店で、気難しい社長さんだった。2人で謝り、どうにか機嫌を直してもらったものの、これ以上の売上は見込めないだろう。
午後は事務処理をして、取引先から頼まれた資料作りに奮闘した。
有難いことにあっという間に時間が過ぎて既に19時を回っていたが、気にせず続ける。しばらく大悟さんのシフトは深夜になるようで、入れ違いの生活が続く。
せっかく戻ってきてくれたのにな。
「お疲れ」
私と市野さんだけのオフィスに足音が響いた。先程接待に出かけた部長が忘れ物をして戻ったきたのかと振り返れば、
「副社長、お疲れ様です」
入り口に副社長が立っていた。
市野さんが素早く立ち上がったところで、私も「お疲れ様です」と挨拶する。
東京営業所に役員クラスの人が来ることは珍しいため、オフィスに緊張感が走る。
「近くの取引先に挨拶にね。まだ電気がついてたから、寄ってみた」
「そうでしたか」
珈琲を淹れるために立ち上がった私を見て、副社長は首を振った。
「すぐに帰るから、なにもいらないよ」
もう一日の終わりだというのに、朝の爽やかさを残したまま副社長は小さく笑った。
「来月には東京営業所にひとり人員を送ることを想定しているから。もう少しだけ、頼むね」
「はい!」
副社長は宣言通りすぐに帰って行ったけれど、市野さんは目を瞑っていた。
市野さんほどの方でも副社長の前では緊張するのかな。
珈琲を2つ淹れて、私も一息ついた。