クールな次期社長の溺愛は、新妻限定です
 葛藤の末、私は目線を落として小さく答える。

「……苦痛じゃないよ。わかった。ちゃんと待ってるから、早く仕事に戻って」

 弱々しく返すと、ふと頬に温もりを感じる。

「汐里」

 久しぶりに呼ばれた名前になにかが体中を駆け巡る。顔を上げれば、亮が私の頬に触れ至近距離で見つめていた。

「薬を飲んだとはいえ、まだ顔色が悪い。辛いなら我慢せずに、横になっておけ」

「……うん」

 続いて彼は私の額に手のひらを当てた。大きくて、わずかに体温の低い亮の手は懐かしくて、変わっていない。当たり前に触れられても不快感はまったく湧かなかった。

「極力早く戻ってくる」

 そう言い残して亮は部屋を出て行った。広い空間にただひとり、私は行儀悪く立派な革張りのソファに倒れ込んだ。

 自分の身に起こっている出来事が未だに信じられない。ドレスに皺をつけるわけにはいかないと気を張るも、頭の痛みが嘲笑(あざわら)う。上手く思考が回らない。

 天井をなぞるように目線を走らせる。亮はこんな広い部屋に、ひとりで泊まってるのかな? 彼は指輪をしていなかった。ちゃっかりそんなところをチェックしている自分が嫌になる。

 でも、付き合ってる人とか……それこそ、婚約者とか。

 あれこれ想像して眉をひそめる。知りたくない。だからさっさとこちらの言いたいことを言ってさよならしたかった。

 もう私たちはなんの関係もない。とっくに終わっているんだから。

 こういったところに亮が慣れているのは一目瞭然で、さっきから場違いだと委縮気味の私とは大違いだ。意識せずとも彼との差を見せつけられた気がして、切なくなる。

 全部、わかっていた話じゃない。

 手に力が入り、服ではなく髪をくしゃりと掴む。横になるのに邪魔にならない程度に乱暴にほどき、私は静かに瞼を閉じた。
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