クールな次期社長の溺愛は、新妻限定です
 そこに向かってどうする気だろう。これがドラマなら勢いで乗り込んでしまうのもありなのかもしれない。

 でも、あいにくそこまでするほどの度胸も行動力も私にはない。その一方でなにもせずにはいられなかった。

 得体のしれない黒いものに押し潰されそうで怖くなる。

 電車を降りる頃には、背中にじんわりと汗が滲んでいた。改札を出てすぐに大きなホテルの広告看板があり、迷わず私は突き進む。

 一歩ずつ踏み出すたびに心臓の音が大きくなり、ついにホテルのエントランスが見えてきた。そして、動かし続けてきた私の足が止まる。

 西洋風の白い柱の間から若い男女が並んで歩いてきた。ハーフアップにしたウェーブのかかった長い髪、淡い桃色のリボンがついたワンピースに白のカーディガン。

 昨日、うちのアパートまでやってきた桑名美加さんだ。先に彼女に気づくほど一瞬、男性の方が誰だかわからなかった。

 隣の彼はストライプ柄のスーツをきっちりときこなし、髪もしっかりと整えている。厳しめの表情の彼と目が合って、相手の目が大きく見開かれる。

「汐里!」

 名前を呼ばれて私は反射的に彼らに背を向けて駆け出す。いつもと雰囲気が違って戸惑ったけれど、桑名さんの隣にいたのは間違いなく亮だった。

 駅まで戻ろうとしたが、途中であっさりと腕を掴まれて阻まれる。ところが私は振り向けないままだった。
< 97 / 143 >

この作品をシェア

pagetop