リリカルな恋人たち
すると。


「これ以上は、僕しか見れない顔だから」


前のめりになってバン! とテーブルに片手をついた加瀬くんは、反対の手のひらを大きく広げてわたしの顔全体を覆った。

その音と、片方の眉にだけアクセントをつける加瀬くんの挑発的な笑い方に気圧されて、謙介が一瞬で黙った。

静けさに、心が震えそうだった。

子連れのお客さんたちから次々に退店され、わたしたちもテーブルの大皿と数杯目のグラスをすべて空にしてからお開きになった。


「じゃ、また近いうち四人で飲もうな」
「ふたりの結婚式、楽しみにしてるね!」


カフェバーの前で気の早い新婚さんに手を振り、別れる。
街はもう夜も深まっているというのに、異様なお祭り騒ぎ状態で、飲み屋街の歩道は人で溢れている。
わたしたちは間隙をぬって歩く。


「これからどうする? 飲み直す?」


って言っても、この状況だとどの店も混んでるだろうな。


「今日は飲みすぎて酔っちゃったから、僕んち行ってゆっくりしよっか」


屈んだ加瀬くんが、わたしの耳元で囁く。
冷えてきた夜風が横髪を靡かせて、頬を掠めてくすぐったい。


「酔っちゃった? 全然そうは見えないけどむしろ涼しい顔してるように見えたけど」


歩きながら、ちらりと加瀬くんを見上げる。


「そう?」


ふっと笑った加瀬くんはジャケットのポケットに両手を入れて前屈みになった。


「僕、普通だった? 涼しい顔してた?」


口元に笑みをたたえ、街灯のもとにとても整った、彫刻みたいな横顔をさらす。


「延岡くんへの嫉妬で気が狂いそうだったんだよ、ほんとうはね」


剣のある透き通った声。
細められた両目には鋭い閃光が走っていて、見下ろされると背中がぞくっとした。


「嫉妬、って……」


……知ってたの?

わたしが、中学時代からずっと、謙介に片思いしてたことを。

両目を見開かずにはいられないわたしは、今度は切なげに瞳を翳らせる加瀬くんの表情を間近で見た。


「だっていつも、友を見てたからね。」
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