幼な妻だって一生懸命なんです!
長瀬さんの家を訪ねるのは初めてだ。
マンションに一人暮らしとは聞いていた。
時刻は二一時をまわっていて、神楽坂から三十分もしないうちにマンション前に着いた。
窓から見える都心の灯りと、隅田川を渡る大きな橋を通ったことと、大きなマンションが数棟そびえ建つ景色しか覚えていない。
その大きなマンションの一つの入り口にタクシーは停まった。
タクシーを降り手を繋いだまま、オートロックを解除し、マンションのエントランスへと歩き出す彼の後ろを小走りに追う。歩幅が大きい彼が、普段なら歩調を合わせて歩いてくれるのに。
エレベーターは八基。
「こっち」
どうやら行き先によって、乗るエレベーターは違うらしい。
待つこともなくエレベーターの扉が開く。
「27」というボタンを押すと、エレベーターは静かに上昇し始めた。
彼はエレベーターの壁に背をもたれ、「ふー」と息を吐く。
そのまま私を見下ろすと「緊張するな、こっちまで緊張する」と苦笑した。
「緊張していません」
とは言ったものの、長瀬さんの顔を見ることができず、落ち着かず、エレベーターの上昇していくエレベーターの数字を見るばかりだった。
エレベーターを降りると、一回だけ角を曲がり、同じドアが並んでいる一つにたどり着く。
「どうぞ」
部屋のドアを開けた長瀬さんは、私を先に部屋の中へと促す。
パンプスを脱ぎ揃えると、床には毛足が短いカーペットが敷いてある。
この感覚から、私には初めてだ。
まっすぐに進む廊下には何個かドアがあったが、数えられるほど余裕はない。
ただまっすぐ進む先に、さっきタクシーから見上げていた都内の灯りが、見下ろせる位置にいた。センサーが働いているのか自然と部屋の明かりが灯る。
室内を歩くには問題がないが、明るすぎない温暖色のライト。
「きれい」
直進して窓に張り付く私のすぐ後ろに長瀬さんが立った。
大きな窓に振り向かなくても長瀬さんの姿が映る。
「この景色がきれいに見えるのか?」
「きれいじゃないですか?」
「よくわからない。帰って来ても窓の外なんて見ないからな」
「勿体無い。うちは一軒家だし、府中の灯りとはまた違いますから」
ピカピカに磨いてある窓に指紋をつけないように気をつけながら、顔だけをギリギリ寄せると鼻息で窓が曇った。
慌てて曇ったところを手でこすってしまうと、変に跡がついてしまった。