夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
 溜息が聞こえ、触れてきた手が離れていく。

「お前のせいで怯えてる」

(……え)

 恐る恐る目を開けると、その人はもう一人を睨んでいた。

「え。俺、ほんとに落とし物を渡しただけなんだけど」
「それだけでこんな顔色になるのか?」
「いや、でも――」
「ほ、本当のことです」

 ようやく思考が追い付いて声が出てくる。

「イヤリングを拾っていただいたんです。それ以上のことは何も……」
「別にこいつに気を遣わなくていい」

 言い方こそ素っ気なくて冷たいけれど、その奥に気遣いを感じられた。
 最初の印象との違いに驚いていると、横でもう一人が肩をすくめる。

「ほら、言っただろ? 人を色情魔扱いしようとしたんだから謝れよな」
「本当のことを言って何が悪いんだ」

 素っ気なく言った男性はもう私を見ていなかった。

「ナンパは会社と関係ない場所でしろ。行くぞ」
「えー……」

 しょぼくれた彼が名残り惜しげに私を振り返り、力なく手を振ってくる。

「またどこかで会えたら、その時はお茶でもしてください」
「ええと……はい」

 また会うことなどあるはずがない。
 そう心に思ったのは隠して、愛想笑いを作っておく。
 二人が立ち去ると、どっと肩の力が抜けた。

(あの人……怖そうだったけど、助けてくれた)

 私だけだったらきっと切り抜けられなかったに違いない。
 感謝と申し訳なさは、このまま伝えずに終わるのだろう。

(昔に比べたら、これでもよくなった方なんだけどな……)

 仕事で接する相手ぐらいなら、多少緊張はするけれど対応できるようになったはずだった。

(……情けない)

 こんなことだから友人たちのように結婚の話も、恋人の話もできないのだ。
 そうは思っても、自分ではどうすることもできない。
 自己嫌悪に陥りそうだったけれど、今、自分がいる場所を思い出してなんとか思いとどまった。
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