擬似結婚ー極上御曹司の一途な求愛ー
「あれが、言い伝えの元凶か……」
彼の視線の先には、淀んだ色の水をたたえた小さな池がある。
護岸もされていない自然のままの池は風が吹いても水面が揺れず、あまりに静かすぎて、言い伝えなどなくても十分に不気味だ。
「桜姫の池。意に沿わぬ婚姻を押し付けられそうになった桜姫は、戦死した恋しい人の後を追うように、ここに身を投げたんです。それ以来、恋人と一緒にここに訪れると、愛の絆が深まるという言い伝えがあるんですよ」
「なるほどね……道理でカップルが多いわけだ」
池の周りで身を寄せ合う恋人たちを見て感心したような声を出し、少し何事かを考えるように顎に拳を当てた。そして亜里沙の方を向く。
じっと亜里沙を見つめている表情は、なにか言いたいけれど我慢しているような……なんだか複雑な感情を抱いているように見える。
──そういえば。ホテルを出てから一度も寄っていないから……。ひょっとして?
「……トイレですか?」
ついそう尋ねると、彼はかくんと項垂れた。
「まあそれもあるけど……うん、とりあえず、後でいいか」
「え? 後で?」
言っていることが理解できなくて疑問符をぶつける亜里沙に、彼は笑顔を向けて来た。
もう例の余裕のあるすました表情に戻っている。
「後でゆっくりってこと。それより、そろそろお腹が空いてきたな」
「あ、そういえば、そうですね」