擬似結婚ー極上御曹司の一途な求愛ー

「とにかくお待ちだから、行こう。遅いと心証が悪いよ」

 やり手と噂の冷徹社長に疑いをかけられているのなら、厳しい尋問が行われるはずだ。

 立場の弱い亜里沙は、どうやって身の潔白を証明すればいいのだろう。

 いや、そもそもYOTUBAに横領の事実があるのだろうか。

 経理課長の後についてとぼとぼと歩き、社長室のドアの前に立った。

 ここ数年間使用されることがなかった部屋。この中に、『冷徹』と言われる香坂社長がいる。

 心臓が踊るように鳴っていて、緊張しすぎて口が渇き、脚は震えている。

 経理課長が「堂々としてれば大丈夫だから」などと励ましてくれるが、あまり耳に入ってこない。

「失礼いたします。河村亜里沙を連れてまいりました」

「入って」

 中からは社長と思しき声が聞こえてきて、経理課長は静かにドアを開けた。

 亜里沙は俯いたまま一礼して、おずおずと社長室に足を踏み入れた。綺麗に磨かれたアイボリーの床が目に映る。

 一瞬だけ目を上げて見ると、窓を背にしてデスクに座っている社長以外、部屋には誰もいないようだった。

「失礼いたします。河村亜里沙です」

「ごくろうさま、経理課長はもう下がっていいよ。仕事して」

 経理課長の落ち着かない態度や『冷徹』という噂から想像していたよりも、ずっと穏やかな声音だ。

 けれど、これから社長とふたりきりになるという事態が、胸にざわざわと荒波を立てる。
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