綴る本
 温厚なサルディスも流石に眉を顰めた。白い顎髭を撫でていた手を止める。
「二人ともやめんか!」
 サルディスの怒声に二人は身体を硬直させた。怒るところを一度として見たことの無い二人にとって、目を丸くさせるのは当然と言えるだろう。
 そして直ぐに、バツの悪そうな顔をして頭を下げた。
「申し訳ありません」
「ごめんなさい」
 謝罪の言葉を切りに、暫し気まずい雰囲気が三人に流れる。何処か空気が重く、息遣いだけが耳にいやに届く。
「二人が言い争うのはお門違いじゃ」
 静かに、しかしはっきりと聞き取れる声が紡ぎだされた言葉はサルディスのものだった。先程までの感情とは違う色の声で、何かを決意したかのような凛とした響きの感じられる声だ。
「二人に責任があるならその上司であるわしに責任があるぞ」
「いえ、そのようなことは――」
「わかっておる。わしの立場的問題じゃ。じゃからこそ、今夜わしの執務室に来てくれんかの、二人に話したいことがあるんじゃ」
 厳かであり、有無を言わせない声に二人は顔を見合わせて、頷くのだった。


 バークやサルディスと別れたレイミィーは一人王城内から軍施設までの道程を歩きながら、ヒールの踵を鳴らしつつ放浪していた頃を思い出していた。
 初めての旅は軍生活に飽き飽きしていた頃と比べ、自由に自分の赴くままに歩き、清々しい毎日を過ごせていた。
 新しい地。
 沢山の人達との出会い。
 蔓延る魔物。
 ユーカティス大陸の世情。
 どれもこれも同じ場所に留まり続けていては限界がある。
 中でもある人との出逢いが強烈に、そして衝撃的に頭に印象を深く残している。
 第一印象最悪の出会いだけれど、胸を焦がす思いを与えてくれた出会いでもあった。
 そんな日を知らずに今の歳まで遠くの地に行けなかったのは、貴族の娘に生まれたのが自分の運の尽きだったのかもしれない。
 二十二歳に成るまで領地内しか出れないことに、息が詰まる思いを感じていた。
 周りの同じ年代の知り合いの女性達は既に自分を残して嫁いでいる。
 屋敷に戻れば、待っていたかのように父親が貴族の子息との懇談の話を持ちかける度に、溜め息を零したくなるのを抑えていた。
 親が娘を想う気持ちは分からないでもないけど、結婚相手の男性ぐらい自分で選ばさせてほしいと常々そう思う。
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